1588話 カラスの十代 その21(最終回)

 

 これは、おまけの話だ。

 1980年代前半のことだが、私はアフリカ旅行の帰路、イスタンブールにいた。マラリアの療養の目的もあった。宿は、日本人旅行者に教えてもらったところだからは、日本人がよくやって来た。そのなかに、ヨーロッパを旅した後、陸路でインドに行くというカップルがいた。

 「違うのよ」と彼女が言った。私よりもちょっと年下だ。安宿のレセプション前で、出会った挨拶をしたすぐ後のことだ。「夫婦でも恋人でもないのよ。たまたまパリで知り合って、『インドに行くところ』と言ったら、ついてきたのよ。彼、性格よくないから、ほんとはいっしょに旅したくないんだけど、これからインドまで女ひとりではちょっときついかなと弱気になって、つい・・・」

 その「彼」は、誰も聞いていないのに、「元官僚だ」とある官庁の名を挙げて自己紹介し、旅に出てもしゃべり方はまだ官僚で、自信たっぷりで、自分がいかに優秀であるか見せつけようとするしゃべり方だ。そのせいか、彼女は彼と話をすることはなく、宿でぽつんとひとりでいるから夕食に誘った。食事を終えても、宿でしゃべった。互いに住所を交換すると、彼女は私が住む市の隣りの市に住んでいることがわかった。ただし、どちらも郷土愛などない人間だから、手を取り合って「同郷」を喜ぶようなことはしない。私の住所を書いた紙きれを見ながら、彼女が聞いた。

 「高校も地元ですか?」

 「うん」

 「もしかして・・」と高校の名前を言った。

 「そうだよ」

 「ああ、兄と同じだ。もし、1952年生まれだと、兄と同じ学年になりますね」

 彼女の名前は、住所を交換した紙に書いてある。田中や佐藤だと、個人を特定できないが、それほどありふれた姓ではなかった。ああ、あいつの妹か。兄という男とは、同じクラスになったことはないし、話をしたこともない。顔と名前を知っているだけだが、その姓に記憶がある。

 彼女が「陸路でインド」といったとき、ちょっと心を動かされたのだが、「じゃあ、僕といっしょにインドに行こう」と言い出す気はなかった。彼女は好感を持てる人だが、この先いっしょにいて楽しいかどうかは、別だ。それ以前に、所持金の多くをアフリカで使ったから、残りのカネでアテネから空路、バンコク経由で日本に帰る予定だ。料金を調べてはいないが、アテネ・東京と、カルカッタ・東京の航空運賃はそれほど変わらないと計算していた。だから、陸路でインドまで行くと、カルカッタでは航空券を買う資金はなくなる。そういう計算をきっちりやったわけではないが、いっときのノリで、「いっしょに、インドに行こう!」なんて言わなくてよかった。いつものように、品行方正な旅行者であってよかった。

 アフリカから無事日本に帰り、友人の助けもあってライター生活に戻った。日々雑多なことに手を出しているなかで、貧乏ライターはポルトガル語を専門とする人と知り合った。その人としばしば会い雑談をしていたのだが、ある日、突然、高校の話になった。今住んでいるところにある高校の卒業かと聞くので、「そうだ」と答えると、「じゃあ、〇〇って人、知ってる?」と、彼女の口からでた名前は、高校を卒業して以来初めて聞く名前だが、同じクラスになったこともある親しかった級友だ。彼女の話では、スペイン語の通訳をしている親友がつきあっている男が、私の高校時代の友人で、ヤツもスペイン語の通訳として活躍しているといった話を聞いた。そんなことはまったく知らなかった。高校卒業後、ヤツに一度も会ったこともなければ、消息も聞いたこともない。

 1582話で、「長らく外国生活をしている高校時代の友人」と書いたヤツだ。高校を卒業して以来30年ぶりに会い、1581話に書いたように、大学でスペイン語を専攻し、スペインに留学したといった経歴を、その時初めて知った。私がヤツの浮名を耳にしたのは、ヤツが南米生活を終えて帰国し、フランスにわたるまでの日本での出来事らしいのだが、ヤツは「どの子かなあ、わかんないなあ」と記憶にないらしい。世界を股にかけたドン・ファンだから、心当たりがあまりに多すぎて、記憶を特定できないらしい。

 ヤツは、フランスの会社を定年退職して帰国した。サラリーマン時代から、難しい受験勉強をして、スペイン語、フランス語、英語の観光通訳、正式には全国通訳案内士の資格を取ったというのに、運が悪いことに、このコロナ禍で外国人観光客の姿は消えた。サラリーマン時代の年金で、とりあえず生活資金はなんとかなっているのだろう。ヒマな時間を利用して、きっとポルトガル語やイタリア語に磨きをかけていることだろう。

 同級生の皆さんは、私と違って堅実にして賢明で努力家である。

 「カラスの十代」は、今回で終了。