1592話 『全国マン・チン分布考』の話を、ほんの少し その2

 

 少しは、この本の内容に則したことを書いておこうか。

 バンコクで暮らしていたころのこと、友人と路地を歩いていると、土ボコリをかぶった自動車が路肩に停めてあり、車体に指で書いた落書きがあった。

 「あれ、読める?」と彼が指さしたので、すぐさま「ヒー」と読んだら、彼はうつむき、「声に出すもんじゃありません」と私をたしなめた。読めるかどうか聞いたのはアンタじゃないかと思ったときに、その語の意味に気がついた。女陰をさすタイ語だ。すでに知っている語だが、その綴りを見たことなどないので、気がつかなかったのだ。

そういえば、インドネシア語の練習のつもりで、ジャカルタの路上でも落書きを読んでいたら、隣りにいた友人が「シッ!」と、指を唇に当てた。人前で口にしてはいけない語だったらしい。

 この新書を読んでいて、なぜバンコクのことを思い出したかと言うと、女陰を意味する沖縄方言に「ヒー」や「ピー」があるという記述を読んで、バンコクでのことを思い出したのだ。沖縄とタイに何か関係があるとすれば、中国語だな。屄と言う語は、尻や尿や屁などからの連想で、穴が入っているからその意味が推察できるだろう。発音記号はbiと書くが、カタカナ表記をすれば「ピー」のようになる。素人考えでは、何かの関係があるような気がする。

 次は男根編。

 青森県弘前市の方言を集めた『弘前語彙』と言う本に、次のような項目があるという。

 

がも(名)男根

カモ(鴨)の意。特に小児に多く言う。小児の男根が鴨の形に似ているのによる。必ず濁音に言う。

 

 ちなみに、津軽ではハドという。鳩のことで、やはりトリだ。こういう記述で、2003年にこのアジア雑語林に書いたインドネシア語burungのことを思い出した。インドネシア語タガログ語と中国語との関係を想像したコラムだ。

 「がも」で思い出したことがある。20代のころ、友人4人と街を歩いているとき、秋田出身の男が、路上で突然、東京では人前で口にしてはいけない言葉を叫び始めた。関東人がおろおろするのを楽しんでいるのだ。「おれ、何にも感じないから、平気だよ」と言うと、ひとりが、「そういえば、秋田だったかなあ、『がも・だっぺ!』」というと、秋田男は突然腰砕けになり、「お願いだからやめて」と叫んだ。それが面白くて、関東者は何度もその言葉を叫んだ。秋田じゃ、絶対に許されない発言だ。

 関西在住の俳優紅萬子(くれない・まんこ)のインタビューがこの本の最後に出てくる。アングラ時代につけた芸名で、いまでも関西では有名人だ。「この芸名で、何が悪い!」と宣言したようなものだが、関西では普通の「オメ○」としなかったし、この語をインタビューで口にすることもないと著者は書いている。そう、この芸名は、関西ではあまり抵抗なく名乗れるのだ。和田アキ子が、「東京の言い方は何ともないから、この放送でも言える。ゆーたろか?」などと言いだし、「そのあとに、関西の言い方で、『お米券』とか・・・」と、そばにいる芸人に突っ込まれると、ヘナヘナとなる。それと同じなのだ。放送で4文字言葉を大声で口にして芸能界を干された18歳の松本明子は、高松出身だから、「その意味を知らなかった」と言っているが、知っていても何の抵抗もなかっただろう。

 紅萬子に「関西の言い方はしない」と突っ込んだ著者も、実はこの本では「オマ○○」を多用し、関西の「オメ○」はほとんど使っていない。関西人である著者には抵抗があるのだろう。関西で過ごした時間が長い上野千鶴子も、「おま○○!」とは叫ぶが、関西方言を人前で叫ぶだろうか? もしもこの本が、『全国オメ・チン分布考』だったら、関西のマスコミはどういう反応を示すだろうか。

 ちなみに、人前で口にするのをはばかられる言葉に興味のある人は、『13カ国いうたらあかんディクショナリィ―言ってはいけないことばの本』(講談社文庫)がある。雑誌「面白半分」の責任編集長を務めた開高健がその雑誌で企画し連載したものをまとめたもの。私の好きな本で、名作だと思うが、言語学に興味のある人があまりいないようで、売れ行きはかなり悪かったらしい。

 スラングの話はきりがないので、今回で終わる。