「インターネット書店はピンポイントで本を探すから、狭い知識しか得られない。興味を広げることができない。でも、本屋で棚を渡り歩いたら、知らない分野の本や、知らない著者の本に出合う。思いがけない出会いが、書店にはある」
読書家を匂わす人物が、ラジオでしゃべっていた。書店擁護という考えもあるのだろうが、私はもう20代から新刊書店ではあまり本を買わなくなっている。理由は簡単で、欲しい本がないからだ。「最新刊を読んでいないと時代に取り残される」という恐怖感はない。ベストセラーに、読みたい本はない。雑誌、マンガを買わない。小説、実用書、自己啓発本、宗教書、タレント本などを買わないと、小さな新刊書店では文庫と新書を探すしかないから、古本屋歩きが加速する。
インターネット書店は、自分が買いたい本をピンポイントで探し出し、買うことができる。しかし、その人に広い好奇心があれば、知らない分野の本や、知らない書き手の本に出合うことがいくらでもできる。例えピンポイントで本を探しても、ヒットした本の前後には、同じ著者の本や関連するテーマの本が登場していることがある。検索を書名ではなく、例えば「大阪 大正時代」とか、「世界 家具」などで検索すれば、もっと多くの本が見つかる。場合によっては、市販していない私家版も手に入れることができる。関心が日本国内だけでなく、外国にも関連するなら、世界各国の古書店とネットでつながる。
20代になってアジア関連の本を読みたくなって本を探したのだが、新刊書店ではあまり見つからなかった。私が読みたくなる本は、小出版社から少部数出版されるような本が多く、大書店でも「在庫なし」ということがある。だから、神保町に行っても三省堂や東京堂は雑誌や文庫や新書を点検するだけで、新刊書はあまり買っていない。神保町で新刊をよく買うようになったのは、アジア文庫ができてからだ。
新刊書店でもっとも好きなのは、池袋ジュンク堂で、大学講師をやっていた時は池袋に行く用があれば、必ず立ち寄り、旅行記や海外滞在記などの棚を中心に新書や文庫のチェックに数時間費やしていた。でも、あまり買っていないなあ。欲しい本がないのではなく、欲しい本がありすぎて、「もう買うな! ウチに未読の本がいくらでもあるだろ」というブレーキがかかるのだ。
ジュンク堂にしかないかもしれないという本があった。スパイス解説書らしいが、ビニール包装されていて、内容を確認できない小冊子だった。こんな自費出版物はほかじゃ買えないだろうと思い、ついつい買ったのだが、まあ、それはそれはひどい内容だった。そのころ、友人の民族植物学者もこのビニ本を買ってしまったらしく、「ひどい目にあったねえ」と互いになぐさめあったものだ。結果的にはひどい内容の本だったが、そういう珍しい本も置いてくれるのが、池袋ジュンク堂だ。
本はもっぱらネット書店を利用しているが、電子書籍を読む気はないし、手持ちの本をデジタル化する気もない。パソコンで読んでいるような、雑多な情報はモニターで読むのはいいが、長い文章をモニターで読む気はない。字が大きくなるなど年寄りには便利な機能があるようだが、読んでいる気がしないのだ。電子辞書のような、辞書事典資料集など膨大な情報をデジタル化しておくのはいいが、長い文章をモニターで読む気はない。だから、逆に、短い文章、例えば俳句や短歌や詩などが入っていると、旅の友達にはなれるが、そういう本は文庫でもいいから、買おうという気にはならない。
しかし、電子図書化した国会図書館の蔵書や、「Kindle版 無料」というアマゾンの表示にはそそられる。キンドルでしか読めない本や、印刷物で手に入れようとしたらとんでもない値段がついている古書だという例もあるから、電子書籍はそそられるのだが、印刷物さえ手に負えないほどの量が出版されているのだから、電子書籍にまで手を広げなくてもまあいいかと思っている。ガイドブックを含めて、デジタル本なら100冊分でも500冊分でも旅に持っていけるのだが、これも、まあいいか。もともと荷物が少ない上に、旅先で買い物もほとんどしないから、本が数冊増えてもいいやと思っている。2か月で15か国旅行するというなら、デジタル化した旅行ガイドブック類を持っていけば軽くて楽だが、そういう旅をする気はない。