1601話 本で床はまだ抜けないが その9

 

 私が、「こいつ、嫌なヤツだな」と顔をしかめたくなるのは、書店で平積みになっている本を1冊1冊慎重に検品し、合格した本だけを買うヤツだ。他人の邪魔を考えず、平台を占拠して検品し、買っても読まず保存するようなヤツ。たまに書店でそういう男を見かける。「本は、保存状態こそが重要」と考えているヤツ。本を書棚に並べて悦に入っているようなヤツも嫌だ。オーディオ機器にカネと神経を使うが、音楽そのものにはほとんど興味のないヤツと同じだ。本は装飾品じゃない。

 そういえば、バブルのころのある書店主の思い出話に、こういうのがあった。「何でもいいから、見栄えのいい本を100万円ほど持って来い」という注文があったそうだ。新居を建てた成金が、自分をインテリに見せたくて、壁紙代わりに本を注文したというのだ。文学全集や美術全集、盆栽や城郭の写真集などを届けたのだろうか。でも、100万円じゃ、大した本棚にはならない。「本は見栄の張りどころ」と考えるのは、団塊の世代が最後じゃないか。

 私は、のちに高く売ることを考えたりしないし、本を数多く買うのが好きというわけではなく、本を多く所有していることが喜びというわけではない。単純に、「読みたいから、予算内で買う」というだけのことだ。

 ヘビースモーカー時代に棚にあった本は、黄変している。それだけでなく、ヤニで本が互いにくっつき、ビニールカバーがかかった本は、書棚から取り出そうとすると、指にヤニがつく。「さすがに、これじゃまずいだろう」と考え、メモ用に取っておいた用済みのコピー紙でカバーを付けた。以後、現在も引き続きカバーをかけているのは、書籍ジャケット(通称では、カバーというが)のツルツルした手触りが嫌いだからで、だからといってジャケットを捨てる気にはならず、白紙でカバーすることにしている。すでに持っている本をまた買ってしまう原因のひとつは、本に白紙カバーをかけてしまうから、表紙の記憶がないからでもある。

 アジアの本を集中して読むようになって、本に書き込みをするようになった。ちょうどその時代、井村文化事業社から東南アジアの主に小説が次々と出版されるようになった。読みたいが、高い本だ。月に数冊読むとすれば、東南アジアの小説だけに毎月1万円以上の出費になり、貧乏ライターにはつらい。そこで、この叢書を備えている図書館を巡り、本を借りて、読んだ。書き込みはできないから、読書ノートを作り、傍線を引きたい部分は書き写した。この時代は、ただ単に、「おもしろい小説を読む」と言うだけのことだったが、のちに東南アジアの食文化研究を始めたら、この叢書は食文化資料としても第一級だとわかった。多少収入も増えてから、すでに読んだ本も含めて、100冊近くを買い集めた。自分の本になれば、使い放題で、傍線、書き込み、付箋をつけて、大いに活用した。

 私の書き込みは、傍線が多いが、そのほか、例えば本文に「この年」とだけあれば、調べて「1926年」と記入したり、何行にもわたって重要だと思われる記述があれば、「重要!」と書いて付箋をつけるか、あとで調べなおすときに便利なように、内容を要約した「見出し」のような文を欄外に書いておくこともある。「詳しくはp124参照」などと書き込むこともある。

 逆に粗悪本に出合ってしまったときは、絵空事の文に傍線を引き、「× ウソ!」と書くか、自分の勉強のために、校閲することもある。文章のてにをはや、漢字が正しいかなどを点検するのが校正だが、内容にまで踏み込んで点検するのが校閲だ。デタラメばかり書いているあの学者あのライターの本など(それが誰か、ご想像ください)、校閲のテキストとして使える。ついつい校閲の勉強をしてしまった1冊に、『アジア偏愛日記』(立松和平、徳間文庫、2002)がある。私の経験上、徳間書店の本は、多少校正はしても、校閲はしていない本が多い。この文庫でいえば、インドネシア語タイ語のカタカナ表記がメチャクチャというのは同情の余地はあるが、発酵させた大豆を固めたテンペを「豆腐のように固めてある」と解説している。「マカムは火炎樹の実だ」というのにも、まいった。マカームはタマリンドのことだ。火炎樹(カエンボク、あるいはホウオウボク)とはまったく違う。この文庫は校閲のやりがいがありすぎて疲れてしまい、50ページほどで読むのをやめたのだが、今、こうして校閲の例を即座にあげられるのは、書き込みと付箋のおかげだが、本を売るときは、傍線や書き込みや付箋はマイナスとなる(私の本も含めてだが、こんな文庫にもともと値はつかないが)。