1604話 本で床はまだ抜けないが、その12

 

 旅行中、「荷物が全部盗まれたら、きっと楽になれるなあ」と思うことがある。もともと私の旅装は少ないしそれほど重くはないし、旅行中に物を買うことはほとんどないのだが、汗臭い服で旅したくないから、服は少し多めで、時に本を買いすぎてしまうことがあり、荷物の重さにうんざりすることがときどきある。だからといって、手ぶらで旅する気はない。

 荷物が日によって、誰かが石を入れたんじゃないかと疑いたくなるほど重く感じたり、何かをごっそりと盗まれたんじゃないかと思うほど軽く感じることがある。その昔、一眼レフカメラを持ち歩きていたときに、散歩中にショルダーバッグがあまりに軽く感じて、カメラやストロボなどをすられたんじゃないかと感じ、路上であわてふためき、バッグのなかを探ったことが何度もある。日によって、荷物の重さが違って感じるというのは、私だけの体験だろうか。

 もともと売れないライターがもっと売れないライターになっているから、仕事のことだけを考えれば、食文化以外の本はほとんど必要なくなっている。ということは、蔵書のほとんどを失っても、せーせいして、どーということのない日常が続くということではないか。

 かつて、書棚にアメリカの黒人解放運動関連書が多くあった。リチャード・ライトやラングストン・ヒューズやマルカムXやブラック・パンサーやアメリカ史の本や雑誌のコピーなどを、ひとまとめにして段ボール箱に入れた日を最後に、日の目を見ない。アフリカの本も、『アフリカの満月』(2000)を書いて以後20年以上、目にしていない。ウチにはあるが、ないも同然なのだ。

 そういうジャンルの本はいくつもある。売っても、捨てても、その後の生活には変化はないのだ。

 ただ、まだライターであることに未練もあるから、すべてをきれいさっぱり捨ててしまう(売ってしまうでもいいが)気にはなれない。「断捨離」という言葉がもてはやされたとき、立花隆は「読んだ本は処分してしまえばいいと考える人は、物事は幾重にも重なっているのに、それらの関連に気がつかない人だ」という意味のことを書いていた。「断捨離」で「本を捨てよ」といった人が想定する本は、読んだらおしまいの小説やエッセイや実用書だったのだろう。

 「本を捨てる」という話を書いていて、突然思い出した。読んだことはないが、寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』や、ラングストン・ヒューズの自伝に、故郷を去る船から持っている本を捨てるシーン。その本のなかの、「キミは本がなければ、どこにも行けないのか」という文章も、思い出す。

 それはさておき、ライターとしての仕事に用はないのに、今も本をよく買っているのは、このコラムのせいだ。このアジア雑語林に文章を書こうと思った時点で、私の知識不足はよくわかるから、まずは資料を買い集めて、読みながら文章を書く。読書への刺激を与えてくれるのが、このブログというわけだ。もし、ブログをやめても、ツイッターなどSNSはやらないと思うから、本もあまり買わなくなり、好奇心も減退し、かといってテレビの前に座りスポーツ中継や時代劇ばかり見ているという生活もできず、図書館に通う気力も失うだろう。

 私が「恐ろしい」と思っているのは、神保町に行っても、「読みたい本が浮かんでこない」というときだ。あれもこれも、あまりおもしろそうじゃない。「それなら」と、ヤマケイ文庫の棚を点検しても、食指が動かない。雑誌もダメ。買いたくなる本がないということが、いままで数度あった。

 スーパーマーケットでも同じような体験をしている。夕食の食材を買いに行ったのだが、献立が浮かばない。買いたくなる食材が目に入ってこない。「それなら、刺身を買って帰るか」と思っても、「ただ刺身を買うだけじゃなあ・・・」などとためらい、食べたい料理が浮かばない。

 読書でも、料理でも、旅行でも、好奇心を失うと、なにをしていいのかわからなくなる。自分が何をしたいのか、自分でわからなくなる。今、どこへ行こうかという具体的な旅行地は決められないから、旅行地の資料を集めて読むということもしていない。

 そうなれば、蔵書など、段ボール箱に入れてしまいこんでも、あるいは気前よく燃えるゴミにしてしまっても平気だろう。

 などという文章を書いている今、自宅にネット古書店から『西洋住居史 石の文化と木の文化』(後藤久、彰国社、2005)が届いた。まだ、知りたいという好奇心があり、書きたいという欲望もある。で、本が増える。

追記:この本はまだ読み終えていないが、なかなかおもしろい。建築で、「石の文化 木の文化」というと日本と西洋の比較として語られることが多いが、この本は北ヨーロッパの木造住宅と南ヨーロッパの石積み共同住宅という対比で語られる。建築よりも住居に興味のある私には、いまのところ絶好の本だ。というわけで、また「建築の虫」が騒ぎ出し、『北欧建築紀行―幸せのかけらを探して』と『世界の野外博物館―環境との共生をめざして』の2冊を注文してしまった。詳しい内容とそのレベルはわからないが、さてどうか? そして、もう一度。で、こうして本が増えていく。