マンガ 3
録画してあった映画「喜劇 女は男のふるさとヨ」(森崎東 1971)を見た。森繁久彌主演ということで見たのだが、映画冒頭1分が、1971年の新宿南口や歌舞伎町の都電線路跡(現在の四季の路)が現れて、その風景は私がうろつき始めたころの新宿だったので、画像を戻して3度見た。映画は歴史の保存庫である。音楽は山本直純で、なんと「男はつらいよ」とほぼ同じメロディーが流れる・・・という話はともかく、マンガの話の続きである。
矢口高雄の『蛍雪時代』が優れているのは、たんなる思い出話だけを描いたのではなく、取材もしているのだ。「あの頃の話」を、マンガ家になった矢口が各地を訪ね歩き記憶を補正し、生活誌にしている。次に紹介する修学旅行の話でも、中学生時代に泊まった東大近くの宿を再訪して、取材している。「あの頃」と「今」を行き来する構成だ。
このマンガ全体でももっとも記憶に残っているのは、この修学旅行の話だ。1950年代なかばの秋田の農村では、中学生も重要な家事労働者だから学校に行く余裕もない生徒がいた。修学旅行など到底無理という生徒もいた。そこで、矢口の学校では、生徒が山仕事など肉体労働をしてカネを稼ぎ、修学旅行費用の足しにしたのだという。前年までは、仙台・松島2泊3日という旅行だったが、「東京を見せたい」という教師の熱意で、「東京・仙台・松島 4泊5日の旅」になった。秋田の農村で暮らす中学生にとって、東京はいずれ就職するかもしれない土地であり、同時にあの時代だと一生縁のない都会である可能性もあった。
秋田の修学旅行生がコメを持って出かけたというエピソードが特に印象に残っている。上の姉が小学校の修学旅行に参加した1960年には、「お米を持って行った」というので、「まだ食糧難時代!」と笑いあったのだが、その2年後の、下の姉の修学旅行ではコメを持って行っていない。もちろん、私もそんな経験はない。私より4歳も年下なのに、コメ持参の修学旅行をよく知っているのが、旅館の息子である天下のクラマエ師こと蔵前仁一さんである。きっと蔵前さんは忘れているだろうが、かつて、私のここのコラムに、修学旅行とコメの話をコメントしてくれたことがあった。
誰かのコラムに、自分たちが持参したコメは翌日泊まる生徒用なので、前日泊まった学校の生徒たちがひどいコメを持ってきていると、コメどころの育ちの生徒は文句を言うというという文章があったことも思い出した。
『蛍雪時代』には、矢口が後から知ったという修学旅行裏話が描いてある。引率の教師がかなりの量の米を東京に運び、飛び込みで飲食店を訪ね歩き、違法行為は承知で闇米を売ったのだという。そうして作った資金が、神宮球場の六大学野球、立教対明治戦の入場券になった。その年、立教に長嶋茂雄が入学しているが、秋田の中学生は長嶋の姿は見ていない。
『蛍雪時代』は中学時代を描いた作品だが、高校時代を描いた作品があるのかどうか知らない。高校卒業後12年間務めた銀行員時代を描いたのが『9で割れ!!』全4巻(講談社)だ。サラリーマン生活のなかで、マンガ家になる夢を実現させていく過程を描いた。
マンガ家の自伝はいくつか読んでいる。もちろん『まんが道』(藤子不二雄)は、だいぶ前におもしろく読んだ。いわゆる「トキワ荘」物は、何冊も読んでいる。水木しげる作品は、『コミック昭和史』や軍隊体験シリーズなども読んだ。あとは、手塚治虫ほか何人かいると思うが、思い出せない。
読みたいなと思ってはいるが、不要不急で後回しになっているのが、矢口の『おらが村』(ヤマケイ文庫)だ。これも、農村生活誌として、おもしろそうだ。神田三省堂のヤマケイ文庫の棚で、買おうかどうか、いつも悩む。
アマゾンで書名などを確認しながらこの文章を書いているが、今机に置いている講談社文庫版『蛍雪時代』の5巻セットが、7980~1万7164円もしているが、手元の5巻をブックオフに持ち込めば、1冊5円か10円か。あるいは、「古いので買い取れませんが、どうします?」と言って、客が「じゃあ、そちらで処分してください」というのを待つか?
ここまで書いて、突然、『食客』(ホ・ヨンマン)を思い出した。韓国の食文化資料として買ったのだが、なかなか面白かった。韓国のコミックは、少女マンガならある程度日本でも売れるのだろうが、ファンタジーもロマンスもない食文化マンガでは5巻まで出ただけで上出来というべきだろう。幸か不幸か、このマンガは今でも安く買える。『食客』に関するコラムは、すでに444話で書いている。