1610話 本で床はまだ抜けないが その18

 マンガ 4

 

 6月にコロナ・ワクチンの接種予約を入れたら、「最短でも8月以降」といわれ、本日やっと1回目の接種終了。まったく痛くなかったが、夜半に左腕が少々重くなった。2回目は8月下旬になり、その効果が出てくる9月になれば、神保町散歩ができるようになるだろうが、1日でも早く古本屋巡りをしたいという欲求はあまりない。アマゾンで買って、まだ読んでいない本が10冊以上あるからだ。だから、巡りたいのは古本屋ではなく、ディスク・ユニオンだ。ジャズのCDを探したい。それはともかく、マンガの話は今回が最終回だ。

 

 マンガは時々読んでいても、今までマンガに関する文章をほとんど書いてこなかったのに、ここ数日マンガのことを書いていたら、忘れていた記憶が少しずつ蘇ってきた。

 矢口高雄の本が置いてある本棚に、かつて滝田ゆうのマンガが何冊もあったことを思い出した。滝田ゆうのやわらかい線が好きで、何冊も買ったのに、1冊も手元にないのは、滝田ゆうが好きだという友人に全部あげたからだ。『滝田ゆう漫画館』全3巻(筑摩書房)があったなあ。『野坂昭如+滝田ゆう怨歌劇場』や『寺島町奇譚』や『落語劇場』などもあったのに、月日が流れて、すっかり忘れていた。アマゾンで滝田ゆう作品リストを見ていたら、知らない本があり、読みたくなった。滝田とは関係ないのに、商品リストのなかに関連図書ということだろうが、『深夜食堂』(安倍夜郎)が入っていた。うん、確かに雰囲気は似ている。小林亜星著・滝田ゆう画『あざみ白書』(サンケイ出版、1980)という本も知らなかった。多分、最近、著者が亡くなって、古書価格を値上げしたのだと思う。

 だんだん思い出してきた。一時、マンガを積極的に買い集めていた時代があった。東南アジアを舞台にした小説をできる限り買い集めて読み、しかし大した作品がないのでがっかりした。ではマンガならどうかと思い、ブックオフの棚巡りをして、探して読んだ。私がパソコンを買う前の話なので、ネットで「アジアを舞台にしたマンガ」を調べることもできず、ブックオフを巡るしかなく、多分十数冊買ったと思うが、読まなくてもいい本だった。

 東南アジアを舞台に日本人が書いた小説はほとんどつまらないが、井村文化事業社の東南アジア文学シリーズでわかるように、東南アジアの人が書いた小説はほとんどおもしろい。マンガもそれと同じで、マレーシアのマンガ家ラット(Lat)の本を買い集めるようになった。

 1984年に、ラットのマンガを翻訳した『カンポンのガキ大将』(荻島早苗、末吉美栄子訳、晶文社)が出たが、多分、その少し前にマレーシアで、英語版の”Kampung Boy”と、その続編の”Town Boy”を買って、すでに読んでいた。ラットの自伝的マンガで、カンポン(村)で生まれ育った少年が、街にでて都市の生活に出会うという二部作だ。

 この2冊はマンガとしておもしろく、しかもマレーシア人の生活や歴史がわかるから興味深い。マレーシアは元イギリスの植民地で、英語教育も日本よりはるかに高いレベルで実施されているから、英米の音楽や映画に興味を持った少年少女は、英語の雑誌を熟読して、情報を得ていた。同時代の、日本の少年少女よりもはるかに情報通だったことがわかる。この文章を書いている今気がついたのだが、ラットのマンガの雰囲気は滝田ゆうに、ちょっと似ている。

 ラットのマンガがおもしろくて、マレーシアに行くたびに本屋に行き、新刊を買った。マレーシアで読むと、風刺漫画の裏の意味を教えてもらえるし、マレー語の勉強にもなった。1990年代末にマレーシアに行ったとき、「もう、ラットの本は出ませんね」と書店主が言っていたとおり、新刊は見つからなかったから、まだ買っていなかった本を買った。今、書棚でラット本を数えたら23冊ある。これで全部か。昔と違って今はインターネットで調べることができる。ウィキペディアの情報では、21世紀に入って2冊出ているらしい。アマゾンで調べると、1冊は確認できて、日本でも買えるが7146円プラス送料だ。買わないな、きっと。

 幸せにも、現在は東京外国語大学『カンポンボーイ』と『タウンボーイ』の2冊を翻訳出版している。マレーシアに興味のある人は、どうぞ。

 晶文社版の『カンポンのガキ大将』の翻訳者のふたりは、「宝島スーパーガイド アジア」シリーズの『シンガポール・マレーシア』の主要執筆者でもある。それ以来名前を聞かなかったのだが、つい先日、マレーシアを扱うテレビ番組に「コーディネーターとして荻島早苗さんの名前を見つけた。あの時代から、日本語教師としてマレーシアで生活を続けてきたようだ。