図書購入台帳 その4
1969年に買った本の一部。
『ヨーロッパ・ケチョンケチョン』(遠山景久)。著者はいろいろあった人。自称、「遠山の金さん」の末裔。この文章を書いているたった今、崩れそうな本の山の補強をしていたら、その山の最深部にこの本があった。1969年から山に埋もれていたわけではもちろんない。本の見返しを見ると、神保町湘南堂書店の価格ラベルが貼ってあり、鉛筆で「200」と売値が書いてある。ウチで埋もれている本を探すのはめんどうなので買ったのだと思うが、再読した形跡はない。ゴーストライターに書かせた金持ちの本だ。
『とらいある・あんど・えらー 文なしで成功した米国留学と世界旅行』(名手孝之)
『アラビア遊牧民』(本多勝一)。1966年に出たこの本が、「極限の民族」三部作の最後にあたる。本多は、これで、探検部・文化人類学的作品を離れて、ベトナムやアメリカを書くようになる。そういう本多の動きとはまったく関係ないのだが、私もしだいに都市散歩や雑学に深い興味を抱くようになる。別の言い方をすれば、「読む旅」から「実際に行く旅」へと意識が変わり、探検隊や調査団の記録を読むよりも、「ぶらりひとり旅」の本を選ぶようになる。『ぼくは散歩と雑学が好き』(植草甚一、晶文社、1970)を読むのは、たぶん1972年だ。
『未知の裸族ラピチ』(飯山達雄)。著者は戦前から活躍してきた写真家。
『アパート天国・魔法ビン文化 ソ連・中共カメラ旅行』(石山四郎)。著者はのちにダイヤモンド社の社長。
『Y.H.旅行 全国140コース』。ユースホステルガイドだ。数年後には、外国で使える“International Youth Hostel Guide”を買うことになる。この小冊子が、当時最高の世界旅行ガイドだった。有楽町そごうのなかにユースホステルの案内所があったなあ。
1969年に買った本のリストを眺めていて、重要な本が抜けていることに気がついた。その後の私の生きる方向を決めるきっかけとなった『食生活を探検する』(石毛直道)が記入漏れなのだ。この本が出た1969年に買ったことはよく覚えている。新聞の書籍広告で見て、本屋に注文したのも覚えている。この本が記入漏れになった理由は単純で、買ったその日の夜に台帳に記入しなかったからだ。買ってすぐに読み始めたり、未記入のまま「未読」の棚に入れてしまうと、そのまま記録に残らないことになる。たまたま『食生活を探検する』がそういう1冊になってしまったということだ。
1970年に買った本の一部
『英単語の基本活用』(細川泉二郎)
『英語に強くなる本』(岩田一男)
『コンサイス仏和辞典』(丸山順太郎)。「世界旅行のために、外国語を学ぼう」などと思い、本を買ったのだが、ほとんど勉強せず。外国語は必要にならないと、学ばないという教訓。NHKのテレビやラジオの「英会話講座」のテキストも買っているが、いずれも4月号を買っただけで終わったという「あるある」。
『なんでも食ってやろう』(松本邦夫)。いわゆる「ゲテモノ」喰いの本だったと思う。
『記者読本』(木下健二)
『ジャーナリズム入門』(扇谷正造)。事件を追う新聞記者には興味がなかった。政治経済スポーツなどにも興味はなかった。成績が飛びぬけて悪い生徒だから、将来新聞社に就職できるとは思えないし、頭脳の出来を云々する以前に、そもそも会社勤めをする気もなかったから、新聞記者になることなど考えたこともなかった。やりたい職業は、今の言葉で言えばフリーのライターなのだが、当時、そんな職業を知らなかった。「ノンフィクションライター」という語はまだない。「ルポライター」という造語はあった。他人事のようだが、どうやら広い意味のライターに興味はあったのかもしれないが、将来の職業のことはほとんど考えていなかったというのが、ホントの話。
好きな本を読み、好きな映画を見て、好きな場所を旅行することしか考えていなかった。雑誌などにそういう文章を書いている人は、映画監督だったり大学教授だったり、元新聞記者だったり小説家や芸能人だから、自分がなれる職業ではなかったというのが事実ではあるが、自分にできそうな職業のことなど考えていなかった。ただ、「いずれ旅を」と考えていた。本と映画と旅行と生活資金が稼げるなら、仕事など何でもいいと思っていたフシがある。