1635話 滞在許可 その4

 

 バンコクで繰り返し長期滞在していたが、アパートを借りたことは1度もない。1年を通して滞在するなら、アパートを借りるのがいちばん安い住宅費なのだが、私は半年しか滞在しない。アパートを借りても、残りの半年分の家賃を払っているのは無駄だし、誰かに貸すと、半年後の立ち退き交渉が面倒だ。

 とりあえず安宿住まいをしながら、友人にそういう話をすると、「友だちの家なら、なんとかなるかも」と助け船を出してくれた。その「友だち」は、夫が公務員、妻が旅行会社を経営していて、つい最近までバンコクの中心地スクムビット通りに住んでいた。家は3階建てのタウンハウス(長屋)で、1階は妻が経営する旅行社、2階が夫の両親が住み、3階に友人夫婦とふたりの子供が住んでいたのだが、郊外に家を建てたので夫婦と子供が引っ越し、3階の部屋が空いた。そこで私が間借りをすることになった。ベッドやテスクなどは夫婦が用意してくれた。

 この部屋で2回の長期滞在をした。3年目に「いつもの家」に行くと、1階で仕事をしている旅行社社長が「この家、売っちゃったのよ」といった。夫の両親も郊外の家に引っ越していた。旅行社は引き続き営業しているから、大家が店子に変わったのだ。この家の2階3階は大改装中で、4階部分を建て増しする工事をしていた。その当時、タイは大変な不動産バブルの時代で、この家は買った値段の倍で売れたという。買ったのはバンコク都の役人で、道路建設予定地周辺の土地を安く買って、道路計画を発表して値上がりしたら売却するという手法で大儲けしてきたと、元の大家がいう。

 そんな話をしていると、当の公務員が現れ、旅行社社長が私の間借り人生活の歴史を語り、すると、「工事中でよければ、住んでいていいよ」といい、「ベッドやシーツやデスクなどを買いそろえるから、数日待ってほしい」と言った。家賃の交渉をしようとしたら、「工事中だから、カネはとれないでしょ」と言った。

 数日間ホテルに滞在し、私は工事中の2階の部屋に移った。のちにウチに来た友人が、「まるで爆撃された家のようだな」と言ったとおり、階段はコンクリートのがれきが積んであって、やっと歩ける幅だけ階段が見えた。部屋のドアを開けると、床はタイルが貼られ、新品のベッドが置いてあった。部屋にいる限りがれき屋敷に住んでいるという実感はなかった。

 旅行社社長曰く、あの都庁役人は「いつも美少年を連れていて、男にはとっても親切なのよ」といった。最初に会ったときも、その後に顔を合わせたときも、美少年がそばにいた。

 改築工事が終わる翌春には私は帰国するから、滞在に何の問題もない。この部屋で、タイ音楽を浴びるほど聞いた。

 翌年からは、友人の親しい人が4階建ての小さなビルを買ったというので、その空き室を貸してくれることになった。ビルオーナーは、今まで何度も食事をしたことがある。私が貧乏だとよく知っているからか、「あんたからカネはとれないよ」と言って、家賃を受け取らなかった。金持ちにとって、私の家賃など、どーってことのない小銭だということなのだろうが、その好意をありがたく受けて、毎年、長期居候生活をした。

 ビンボーライターが半年間遊び惚けていても、滞在費の心配をあまりしなかったのは、食費と本代以外あまりカネがかからなかったからだ。朝は、新聞を読みながらコーヒーとパンの食事。昼と夜は飯屋か屋台で食べた。あの頃は、一皿が20~30バーツだったから、1日の食費はせいぜい100バーツ、日本円にすれば300円強だった。90年代なかば以降になると、物みな値上がりし、1日100バーツではつらくなったが、酒は飲まないし、日本料理店にも行かないから、食費は1日500円くらいだったと思う。ひと月1万5000円くらいだから、日本にいるよりはるかに安かった。