1636話 滞在許可 その5(最終回)

 

 1990年代後半あたりから、バンコク超高層ビルの建設と高架鉄道BTSの工事が始まり(1999年開業)、それまでの「すさまじい渋滞」がさらに悪化し、道路が駐車場になってしまうほど自動車が動かなくなった。視界に入るのは、ショッピングセンターと超高層マンションばかりだ。

 もはや、バンコクはおもしろい街ではなくなった。半年どころか1週間であくびが出るような街に成り下がった。そういうわけで、そのころからヨーロッパに行くようになり、安いタイ航空便を利用した。バンコクでの乗り換え時間がもっとも長い便は、早朝到着深夜出発というもので、乗り換え時間が18時間ほどあった。早朝バンコクに着き、街で朝飯を食い、友人と昼飯を食い、夕飯は別の友人と食い、深夜便でヨーロッパに向かったり、日本に帰った。

 「最近は、昔の前川さんのように、ふらふらといつまでもタイにいるのは難しくなりましたよ」と友人が言った。出入国管理が厳しくなったというのだ。

 タイでもう長期滞在をする気はないが、最新のシステムを調べてみたくなった。ガイドブックには、昔通り、「観光ビザで2か月滞在可」とあり、「往復の航空券と写真2枚」があればいいというのだが、念のためにタイ大使館のホームページで調べてみると、2010年ごろの記述だったと思うが、たかが観光ビザを取るのに就労ビザを取るくらいを得ての書類が必要だった。普通の、善良なる観光客は、ひと月間のビザなし滞在で充分で、それ以上滞在したいのなら、就労ビザや留学ビザなどふさわしいビザを取れという意味らしい。観光ビザさえ簡単に取れないなら、私のようなぐーたら遊び人はタイで長期滞在できなくなったようだ。

 観光ビザが取りにくいなら、取らなければいいと考える者が多くなった。ビザなし滞在でひと月滞在し、期限が切れそうになったらラオスカンボジアに1度出国し、すぐさまタイに戻ってくるヤカラが増えたようだ。こういうのを「ビザラン」(Visa Run)というらしい。

 2016年の、ラオス・タイの国境で、ビザランの常習者らしい日本人が取り締まられている光景に出会った。その話は、このアジア雑語林に書いた。

 今から十数年前のことだが、タイで特派員生活をしたことがある新聞記者と東京でばったり会った。「今、日本に遊びに来てるんですか?」と、よくわからないことを言い出すので、その意味を確かめたら、「タイに住んでいると思ったから」だという。そのころだったか、タイもロングステイビザというものを導入していた。

 「老後は外国で」と考えている日本人の多くは、できればハワイで過ごしたいのだろうが、ビザや費用がちょっとした金持ちレベルでは賄えないくらい高額なので、マレーシアやタイが選ばれた。マレーシアだと1000万円程度、タイだと数百万円のカネを現地の銀行に貯金すれば、長期滞在可能なビザが取れた。50歳を過ぎた善良なる日本人なら、タイのロングステイビザは比較的簡単に取れるようになったので、私もその制度を利用してタイに移住したのだと、その新聞記者は思い込んだというわけだった。

 現在のタイのビザ事情を調べたら、この「ご時世」だから、少しでも外国人にタイでカネを使ってほしい政府は、観光ビザを簡単に取れるようにしたらしいが、もはや私にはどうでもいいことだ。