1637話 未だに、頭の中はバブル時代

 

 去年の秋ごろだったか、ある老芸能人がラジオでこんなことを言っていた。

 「なんで日本は、コロナのワクチンや特効薬を作らないんだろうねえ?」

 彼の頭のなかでは、ノーベル賞受賞者がいっぱいいる日本なら、ワクチンも特効薬もすぐさま開発し、世界で売って、称賛の嵐という絵が見えているようなのだが、現在の日本が見えていないようだ。

 ノーベル賞は数十年前からの基礎研究に対して与えられたもので、手近な利益を求める現在の研究ではノーベル賞は無理だ。今の日本は、過去の日本ではもうないということに気がついていない中高年が多い。

 バブルの頃、日本のGDPアメリカに次いで2位で、中国の存在など気にもかけていなかった。アジアは貧しく、しかし日本だけは豊かで、東京の自宅を売れば、アメリカで豪邸が建つ。個人も法人も、ハワイやゴールドコースト(オーストラリア)の別荘を買う。「円があれば何でもできる」という認識がまだ続いている日本人は、未だに少なくないなあという気がしている。

 バブルのころ、貿易黒字世界1位、外貨準備高世界1位だった日本は、現在の、GDPランキングで世界3位ではあるが、世界の平均年収ランキングでは24位という報告がある。統計上、日本よりも貧しいことになっている国でも、投資や屋台商売など、表に出てこない収入のある人たちはいくらでもいる。アジア人観光客が大挙して日本に来て、「爆買い」と言われるほどの買い物をしたのは、アジアが豊かになったからであり、相対的に日本の物価が安くなったからだ。外国人が「日本は物価が高い。旅行できない」などと嘆いていたのは今は昔だ。フランスやアメリカなどで、サラリーマンがファーストフード店以外で昼飯を食べようとしたら、2000~3000円くらいする。

 10年以上前までは、外国を旅行していると、アジア人旅行者に「コンチワ」、「アリガト」、「ノー・タカイ!」と声をかけてくる店主が観光地にはいくらでもいたのだが、いまはその声が「ニーハオ」に変わることがしだいに多くなった。

 私は、落ちぶれた日本を嘆いているわけではない。マスコミは、世界の中で現在の日本はどういう位置にあるのかという正しい報道をするべきだと言いたいのだ。すし、ラーメンがうまい。トイレが素晴らしい。そういう番組ばかりだろう。バブル時代の日本企業は世界で何をしたのか。「海外進出!」と華々しく経済ニュースで報じられた企業や店舗はその後どうなったかという報告はほとんどない。

 経済ニュースというのは経済界が「旦那」だから、旦那の機嫌を損ねるような報道はしないのだ。だから、高齢者の頭の中はまだバブル時代で、「日本企業最高!」の時代を生きているのだ。

 旅先で会った日本人は、アメリカ人と結婚してずっとアメリカで暮らしている。

 「家を見回して、日本製品はありますか?」と聞いてみたら、「うーん」とちょっと考えた。

 「車は日本車ね。私の希望なの」。日本車といっても、日本企業の自動車という意味で、メイド・イン・アメリカだ。

 「えーと、それから、カメラが2台。どちらもニコン。ほかには・・・」

 「テレビもデッキも冷蔵庫も洗濯機も、日本製じゃないでしょ」

 「そう、日本製じゃない」

 「テレビはサムソン?」

 「いえ、多分LGかな。家電は全部、日本製じゃないと思う」

 彼女が日本製品を嫌っているわけではなく、アメリカで普通に商品選びをしていると、総合的判断で、日本製品が入ってくる余地があまりないということだろう。日本で生活していて、日本製品ばかりに囲まれていると(パソコンとスマホに続き、最近は掃除機も外国製品愛用者が増えてきているが・・・)、「世界の中の日本」が見えない。

 上海やソウルや台北のサラリーマンと比べて、東京のサラリーマンは高収入だと言えた時代は、とっくの昔に過ぎ去った。