1970年代に入ってからかもしれないが、雑誌の特集で「あなたの好きな深夜放送は?」というアンケートで、評論家の荻昌弘(1925~1988)は、「おとなが楽しめる番組はジェット・ストリームだけです」と回答したのを覚えている。私は、「まあ、そうだろうな」と思った。
「ジェット・ストリーム」は、1967年に東海大学の実験用放送局「FM東海」から放送され、1970年に「エフエム東京」に移り、「TOKYO FM」に改名した今も放送が続いている。
ただ、音楽を流してくれれば、それでよしというのが私だったから、音楽を流し続けるジェット・ストリームは、基本的には合格なのだが、音楽の趣味がだいぶ違った。こういう音楽を流していたからだ。
カラベルときらめくストリングス
101ストリングス・オーケストラ
レイ・コニフ・シンガーズ
パーシー・フェイス・オーケストラ
ジェームス・ラスト・オーケストラ
フランク・チャックスフィールド
ウェルナー・ミュラーなどなど
当時の音楽ジャンルでいえば「ムード・ミュージック」である。アメリカでは1950年代から「イージー・リスニング」という語が使われていたようだが、日本では1970年代になってから、「ムード・ミュージック」から「イージー・リスニング」に変わっていったように思う。
「ジェット・ストリーム」は、日本航空の1社提供だから外国旅行の雰囲気に満ちた番組だったので、ムード・ミュージックが好きではなかったが、時々聞いていた。カーメン・キャバレロのピアノは「勘弁してくれよ」という気分だったが、映画音楽が流れると、耳がラジオに向かった。
あの番組は、海外旅行など夢のまた夢だった時代に異国情緒をたっぷりふりかけた番組だった。放送が始まった1967年には、すでに海外旅行は自由化され、誰でも自由に外国に行ける時代になっていたが、「ただし、お金があればね」という時代だから、ほとんどの日本人には外国旅行は無縁で、ハワイや香港に行ったことがあっても、旅費が高いヨーロッパにはなかなか行けなかった。スポンサーの日本航空が、深夜のFMラジオで海外旅行の夢を見せてくれた。
スポンサーと並ぶ番組の立役者は、夢の海外旅行に連れ出す初代機長(番組では案内役を「機長」と呼んでいた)の城達也だ。1967年の放送開始から1994年まで機長を勤め、引退した翌年亡くなった。ジェット・ストリームで放送する音楽はあまり好みではないという話をすでにしたが、それでもときどきこの番組を聞いていたのは、城達也のナレーションが魅力だったからだ。1980年代に入ると、私もあちこちと旅するようになり、番組でいつも流れる美文調のナレーション原稿にややうんざりしていた。70年代から何度も旅行したことで、放送で紹介される街の現実は、カレンダー写真のようには美しくないことを、すでに知ってしまっていた。それでも、あの声と語りのうまさでで、「まあ、いいか」と思わせた。
そして、我ながら不思議なのは、テーマ曲の「ミスター・ロンリー」だ。ほんの一部ではなくほぼフルコーラス流していて、アレンジを変えてはいるが、1960年代末から2020年代の今でも、耳タコになることもなく、毎夜音を浴びている。飽きないのだ。