1656話 「旅行人編集長のーと」に触発されて、若者の旅行史を少し その4

 国際経済と旅行

 

 今回も引き続き、ややめんどくさい話をする。国際経済と旅行の話の基礎だから、しょうがない。観光学者は、観光業が企業や自治体や国家にどのくらいの収益をもたらすかといった意味での経済学の話はするが、「国際経済史と旅行」という話は、多分しない。のちに『異国憧憬』(2003)としてまとまる海外旅行史の勉強をしているなかで、海外自由化のいきさつを調べたのだが、旅行関係書を読んでもわからない。いたしかたなく、今まで全く手にしたことがない戦後日本経済史など、経済学者が書いた本を読みあさって、「ああ、そういうことか」とやっと理解したことを、前回書いた。観光学者は「1964年に海外旅行が自由化され・・」とはいつも書くが、それがどういういきさつだったのかは、どうやら考えていないようだ。これから書く話も、経済書では基礎中の基礎の話だが、観光学資料にはなかなか出てこない話だ。

 かつて、ブレトン・ウッズ体制というものがあった。1944年に、アメリカのニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで連合国通貨金融会議が開催された。この会議で、アメリカ合衆国の通貨ドルは、1オンス=35ドルに固定することが決定された。この場合のオンスはトロイオンス(troy ounce)というもので、約31グラムだ。アメリカドルは世界経済の基軸通貨で、1オンス=35ドルと価値を固定して、それぞれの国の通貨との交換比率を決めた。こういう制度をブレトン・ウッズ体制という。たしか中学の社会科で習った金本位制だ。

 戦後の国際経済で、この体制はどうなったか。アメリカが外国製品を大量に買い込んだことで、日本など輸出国は潤ったが、アメリカからの輸出品はたいして増えなかった。アメリカ人は消費生活を享受し、政府はベトナム戦争などの軍事費を「印刷」でまかなった。世界の基軸通貨の発行元はアメリカ政府だから、どんどん印刷すれば、ドルの保有量はどんどん増えていくのだが、当然ながら、ドルの価値は下がる。しかし、1オンス=35ドルと決めているから、35ドルを持ってきた人に1オンスの金を渡さなければいけない。アメリカが保有する金はどんどん減っていった。

 「ドルと金との交換は、もうやめる」と時のニクソン大統領が宣言したのは、1971年8月で、これをニクソン・ショック、あるいはドル・ショックと呼ぶ、金とドルの固定相場が崩れたので、各国の通貨とドルの固定相場が崩れることになったのだが、なんとか固定相場制を維持したいという動きが各国にあり、1971年12月にワシントンのスミソニアン博物館で会議が行なわれた。日本円は1ドル360円からとりあえず308円に移行した。これがスミソニアン合意だが、固定することはなかった。

 やはり固定相場制には無理があり、ヨーロッパのいくつかの国から変動相場制への移行を目指す動きがあり、1972年3月にはほとんどの先進国は変動相場制になった。日本円とドルの交換比率は、1971年8月までは360円。9月に338円になり、12月には320円になった。1972年になると、2月に305円、12月には301円。73年に入ると、265円から280円くらいになった。この数字は平均値だから、交換手数料込みの交換レートとは多少の違いはある。

 1971年夏に外国に行った人は1ドル360円で両替したから、100ドルを3万6000円で買ったということになる。71年12月なら100ドルが3万2000円。72年なら3万0500円、73年なら2万8000円ということになる。1973年の3万6000円は、約130ドルということになる。

 ついでだから、その後の対ドルレートの話をしておく。

 1973年に1ドル280円くらいになり、ドルの価値が下がり円高になっていくかと海外旅行愛好者に期待させたが、オイルショックにより74年から76年にかけて、ときどき300円を超えるようになった。

 77年ごろから急激に円高になり、78年10月には152円になった。80年には第2次オイルショックで249円になり、1985年まで円高円安の動きが激しかった。

 1985年、ニューヨークのプラザホテルで先進5か国蔵相会議が開かれた。ドルが高いために、アメリカの輸入が増え、輸出が減少することで、アメリカの貿易赤字が増え続けた。この問題の解決策として、ドル安に導くことで輸入を減らし、輸出を増やそうとした。こういう方針を「プラザ合意」という。その結果、ドルは安くなり円高に移行していった。86年には1ドルが200円を割り、88年には122円、1995年には史上最高値の79円になった。2001年から2002年あたりは120円台が続いたが。それ以後は比較的安定し、110円前後で推移している。

 かつては、海外旅行と国際経済は深くリンクしていたから、旅行者は国際情勢に敏感だった。ドル・ショックとか、オイル・ショク、プラザ合意アジア通貨危機などで、対ドルレートが大きく変化したからだ。ただ大きな流れでいえば、1ドル360円から現在の120円へと、ドルに対して日本円の価値は3倍になった。値上がりの激しい国でも、円高のせいで日本円に換算すれば、以前よりもずっと安くなっていることもある。

 私が初めてタイに行ったときは、1ドル20バーツの時代だから、1バーツは15円ほどだった。インド帰りの日本人が多く滞在していた楽宮旅社の宿泊料が25バーツ。日本円にすれば375円だった。「タイは安い」と思うかもしれないが、この時代の大阪西成の簡易宿泊所は、ひと部屋が300~400円だった。1970年代前半のバンコクの中級ホテルの料金は、日本円にすると東京の高級ホテルの料金と変わらなかった。