1657話 「旅行人編集長のーと」に触発されて、若者の旅行史を少し その5

 団塊の世代と海外旅行

 

 今回は、団塊の世代の話をしておく。

第二次世界大戦が終わり、若き兵士が故郷に帰り、結婚して子供が生まれる。アメリカではその世代をbaby boomersといい、1946年から1964年までに生まれた人をさすようだ。アメリカの出生率グラフを見ると、1958年から急激に下降するのだが、アメリカでは「ベビブームは1964年まで」ということになっているようだ。詳しい考察は、長くなるので省略する。

 日本でもベビーブームと呼んだが、1947,48,49年生まれの世代をさした。経済企画庁の官僚だった堺屋太一が書いた近未来小説『団塊の世代』(1976)にちなんで、それ以後は団塊の世代と呼ぶようになった。

 戦後の経済は、音楽も出版も衣料も教育もあらゆる産業が、人口が多い団塊の世代を相手にすることで生まれ育っていき、のちに団塊の世代がそういう経済の中心となる。テレビやロックやフォークも、マンガや予備校も、戦後の経済成長と人口が圧倒的に多い団塊の世代の動きが、欧米と日本の方向を決めていくことになる。

 団塊の世代が20歳になるのは、1960年代末だ。「見たことのない世界に行ってみたい」という若者の夢を、成長してきた経済が支えた。働かなくても生活できる大学生や、学生のアルバイトでもそこそこ稼げるようになった経済力が、まずアメリカや北ヨーロッパで起こった。南ヨーロッパでは、旅行よりも貧しさゆえにフランスやドイツやアメリカへ出稼ぎに行く時代だった。「小さな村の物語 イタリア」(BS日テレ)を見ていると、イタリアの小さな町や村で育った私と同世代の人の中には、「若い時は馬車を使っていた」とか「電気が来たのは二十数年前」という土地もあり、外国に出稼ぎに行くのは当たり前だった。スペインもポルトガルも同じような経済状況だった。ヨーロッパと言っても、一様ではない。

 日本の若者は、もちろん人によってだが、苦労に耐えて稼げば外国旅行も何とかなるかもしれないという希望を抱ける程度の豊かさはあった。1968年に初めてアフリカをオートバイで旅した加曾利隆さん(1947年生まれ)は、早朝と昼間のふたつの仕事を長期間続けて旅行資金を作ったと話していた。日本はそういう時代に入っていたが、韓国は朝鮮戦争があり、台湾は国民党軍の占領があり、経済的にも制度上も海外旅行はまだ無理だった。台湾人の海外旅行が自由化されたのは、1979年。韓国は1989年だった。

 豊かになってきた先進国の子供たちも、1960年代末から70年代に外国へ出かけるようになった。日本でいえば、高度経済成長期である。大卒銀行員の初任給の推移を以下に紹介する。大卒銀行員というのは、エリートの高級取りだった事実を忘れてはいけない。資料出典は、『値段の明治大正昭和風俗史』(週刊朝日編、朝日新聞社、1987)。中卒高卒の若者の月収はもっと少ない。

1960年・・・15000円

1963年・・・21000円

1968年・・・30500円

1970年・・・39000円

1971年・・・45000円

1972年・・・52000円

1973年・・・60000円

1975年・・・85000円

1977年・・・95000円

1980年・・ 103000円

1981年・・ 110000円 

 海外旅行とカネの話というテーマで、いつも思い出すのは植村直己の体験だ。『青春を山に賭けて』(植村直己、文春文庫、1977)に、こういうことが書いてある。

 1964年、海外旅行自由化と同時に、移民船でカリフォルニアに渡った植村は、ほとんどカネを持っていなかった。旅行資金は船賃でほとんど消えた。すぐに農園で働き始めた。もちろん、不法就労だ。日給6ドルだった。仕事に慣れたひと月後には、1日30ドルになった。1ドルが360円時代の30ドルは10800円だ。上の表でわかるように、農園で2日働くと1963年の大卒銀行員の初任給21000円を超える。明治大学を植村と一緒に卒業した級友たちの月給など、農園で働く植村は2日で稼いでいたのだ。農園でひと月働くと、日本の若いサラリーマンの年収ほどの稼ぎになるということだ。半年働けば、日本で家が建つ。1960年代は、日米でこのくらいの格差があった。

 1975年のロンドン、ヒースロー空港を思い出す。入国管理官が私に発した第1問は、「どこで働く気だ?」だった。「カネは持っているから、イギリスで働く気はない」と言ったら、「カネを見せろ」だった。貧しいアジアからイギリスに来た者は、働きに来たに違いないと思われる時代だった。1975年なら、イギリスは日本よりも豊かだったのだろう。

 若者の旅ということで考えると、戦後史は前回見てきたように円高ドル安の時代であり、経済力が急激に強くなる時代でもある。上の表でわかるように、1968年の初任給は5年後の73年には倍になっている。初任給だけが急上昇するわけはないから、勤め人の月給も上がったのである。現代に例えると、2016年の初任給20万円が2021年には40万円になっているようなものだ。そういう時代だったのだ。じっと我慢して働けば、輝くような消費世界が待っているように見えた。テレビも自動車も海外旅行も、まったくの夢物語ではなくなってきた。

 サラリーマンが貯金に励めば、海外旅行ができるようになった。大学生世代の若者でも、割のいいアルバイトを1年ほどすれば、海外旅行の資金ができる時代になった。1990年代になれば、大学生が夏休みにアルバイトすれば、冬休みか春休みに、少々長めの海外旅行ができるようになったのだが、そのためには、航空券が安くならなければならない。その話を次回に。