1658話 「旅行人編集長のーと」に触発されて、若者の旅行史を少し その6

 1968年と77年の航空運賃

 

 航空運賃の話をしよう。手元に様々な時代の航空運賃一覧表があるのだが、交通公社の『外国旅行案内』の1968年版と1977年版の数字をちょっと書き出してみよう。料金はいずれも、東京発のエコノミー片道料金だ。

        1968年    1977年

ソウル・・・・・24400円・・・ 34400円 

台北・・・・・・37250 ・・・ 49200

バンコク・・・・81650 ・・・112700

デリー・・・・ 128050 ・・・167400

カイロ・・・・ 216750 ・・・271700

ホノルル・・・ 101900・・・・124100

ロサンゼルス・ 129600・・・・154600

サンパウロ・・ 268600・・・・309700

ロンドン・・・ 243950・・・・312500

アテネ・・・・ 224800・・・・282800

 興味深いのは、1977年版では西ヨーロッパの主要都市への運賃は、すべて共通の31万2500円だ。そして、アテネ便には料金がふたつあり、北回りが33万1600円、南回りが28万2800円だ。格安航空券などない時代は、基本的に航空運賃はエコノミーとファーストの2種類しかない。IATA(International Air Transport Asociation、 国際航空運送協会)加盟の航空会社の料金は同じで、乗り換え自由だ。いまでも、正規運賃の航空券、俗にノーマルチケットと呼ばれる高額な航空券なら、例えば日本航空便が運休になったとしても、「じゃあ、次のデルタで」と予約変更ができる。大手新聞の元特派員の話では、取材がどうなるかわからないことが多いので、変更が自由なノーマルチケットをいつも使っていたと言っていた。仕事で飛行機を使う人は、「明日の便に変更」ということができないと困るのだ。

 IATA加盟の航空会社の便は高いとわかったので、非加盟の航空会社を探し、見つかったが、日本に乗り入れていないから、出国便としては使えなかった。

 1964年に海外旅行が自由化された。1971年以後、アメリカドルが安くなり円が高くなった。戦後の日本経済は確実に成長していた。しかし、外国はまだ遠かった。航空運賃が高かったからだ。日本人にとってはもちろん、欧米人にとっても、航空運賃は高かった。1968年にロンドンに行こうと考えた日本人がいたとする。航空運賃は、片道で25万円ほどだから、往復なら50万円だ。1968年の大卒初任給は前回紹介したように、3万円ほどだ。20代のサラリーマンなら、せいぜい5万円の月給だろう。ということは、月給の10倍が航空運賃ということになる。現在なら、月給30万円の人にとって300万円ということになる。それに加えて滞在費がかかるのだから、海外旅行はできない。ツアーはだいぶ安いとはいえ、ヨーロッパ旅行はサラリーマンが支払える額ではない。だから、カネのない若者は、奨学金を得ての留学か、企業などから寄付を集めた学術調査か、頭脳に自信がなければ、運動競技で出国のチャンスを得る方法を考える。そういう特技のない者は、例えば片道切符を買ってシベリア鉄道でヨーロッパに渡り、働いて稼ぎ、旅をして、稼ぎ、帰国費用を作った。

 1960年代後半の海外旅行は、もはやまったくの夢物語ではないが、1年間懸命に働いてカネを貯めるといった覚悟を決めないと、とうてい実現できないほど高額だった。「海外旅行は高い」というその公式が、1970年代に入ると崩れはじめる。

 ベトナム戦争にさかのぼるその話は、次回に。