1667話 「旅行人編集長のーと」に触発されて、若者の旅行史を少し その15

 地方在住者および県庁所在地から遠く離れた土地に住んでいる(気の毒な)人たち 4

 

 「地方在住者の海外旅行」というテーマを考えていて、前回パスポートの申請や受理がめんどくさいだろうという話を書いた。北海道や離島に住んでいる人は、パスポートの申請と受理の2回出かけないといけないのは苦労だが、それに加えて、昔は予防接種もあったなあと思い出した。

 海外旅行と予防接種といえば、現在ではアフリカなどに行く時に黄熱病の予防注射が必須で、あとは任意だ。今回のこのコラムは1960年代末から1970年代前半あたりの旅行事情を書いているので、私が体験した時代の予防接種の話をしてみよう。

 1973年、有楽町駅前の交通会館のなかで開業していた宮入内科で、コレラの予防接種を受けた。1回目のあと1週間後に2回目を打たないといけない。加えて、天然痘の予防接種も受けて、接種証明書をもらった。これが私やほかの日本人が知っているイエローカードだ。のちに、サッカーになぜイエローカードがあるのか不思議に思った。

 インターネットや手持ちの旅行資料で、予防接種の戦後日本史を調べたのだが、よくわからない。1974年に、「日本は、外国人の入国時にコレラの予防接種証明書を求めない」という記述を見つけたが、旅行ルートによっては日本人旅行者にコレライエローカードを求める国もあった。天然痘は1980年に絶滅宣言が出ているから、それ以後は天然痘イエローカードは不要になったことはわかる。

 1973年のイエローカードは当時のパスポートといっしょにあるはずだと思い探したが、見つからない。その後の時代のものは見つかったので、その内容を書き出してみよう。

 イエローカードというのは通称で、正式名は「予防接種国際証明書」という。

 1975年8月24日 ロンドンのBritish airways Medical Serviceというところで、コレラの予防接種を受けている。ヨーロッパからの帰路アジア経由にする予定だったので、接種を受けておいたのだ。

 1978年5月4日 香港でコレラの予防接種を受けているが、1回だけだ。そういえば、国によって1回と2回があったような気がする。

 1979年2月6日と13日に、有楽町宮入内科でコレラの予防接種を受けている。前年は香港で接種を受けたのは、宮入内科が高いからだ。保健所でやれば安いのだが、交通費や手間を考えると宮入内科に行くのが便利だった。香港経由の場合、イエローカードが求められない香港で接種を受けて、費用を節約した。

 1982年1月5日 香港のPort Health Officeで、黄熱病の予防注射を受けた。アフリカ旅行の準備である。これも、日本では高いから、香港で打った。1980年には、コレラ天然痘も接種しなくてよくなったが、黄熱病だけはアフリカに行くものには必要だった。以後、予防接種が必要な国に行っていないので、イエローカードは手元にない。

 ここで、余談。1970年代に旅行社の社員だった人の思い出話。営業活動が実り、海外社員旅行の契約を結んだのだが、社長をはじめ幹部社員が、「注射のために、2回も半日つぶすヒマはない。お前らが代わりに行け!」と旅行社の担当社員に言い、旅行社としてもそのツアーを売りたいから、「じゃ、いつものように」と旅行社社長が言い、特別日当の支給を受けて、「社員たちが保健所や宮入内科に行ったもんですよ」。代理接種である。

 都内の会社員でも面倒くさいのだから、北海道や沖縄や鹿児島などの離島の住人は、さぞかしうんざりしていただろう。

 そういえば、とまた思い出す。ドルへの両替も、近所の農協や信用金庫ではできないから、地方の小さな町や農村在住者は、県庁所在地などのしかるべき銀行に行かなければならなかった。私は有楽町の宮入内科に行った後、虎ノ門アメリカン・エキスプレスに行って、トラベラーズ・チェックを買ったが、地方在住者だと、そういうことは難しいな。外貨持ち出し制限があった1970年代前半は、空港で簡単に両替できる時代ではなかったのだ。

 旅行マスコミも他のマスコミ同様東京中心だから、東京から遠く離れた地に住んでいる人たちの海外旅行に想像力が及ばない。日本を出るまでが、すでに大事業だったのだ。

 鄙生活者に、幸あれと、反省をこめて。