1672話 「旅行人編集長のーと」に触発されて、若者の旅行史を少し その20

 『ヨーロッパ鉄道の旅』をめぐるあれこれ 2

 

 前回旅行ガイドの話を書くなかで、”International Youth Hostel Handbook”の名を出した。国際ユースホステル協会が発行している冊子だ。画像検索すると立派な本の体裁だが、私が東京有楽町のそごうの中にあったユースホステル窓口で買ったのは、A6版のノートのような小さく薄い冊子だった。「欧州・南北アメリカ編」と「アジア・アフリカ編」に分冊されていたか、1冊にまとめられていたかの記憶はない。詳しいことは忘れたが、ナホトカ経由でヨーロッパに行った1975年の旅で唯一持っていたガイドがその冊子だった。別冊で世界地図があり、そこにユースホステルのマークがその所在国についていたと思う。本文に、そのユースホステルの場所や交通案内、小さな地図がついていた。

 話はまたまた横道に入りこむが、1975年の私のヨーロッパ旅行の話を少ししよう。

 早朝のパリ郊外で、路上に立った。オランダ方面にヒッチハイクで行く計画だ。その日のヒッチハイクのことはよく覚えていない。自動車のことも乗せてくれた運転手のことも覚えていないが、はっきりと覚えているのは、夕方近くになってもフランスを抜けられなかったことだ。小さな街で車から降ろされ、今日はここまでと悟った。バッグからユースホステルガイドを取り出して、その街のページを出すと、うまい具合にユースホステルがある。畑の向こうの丘に、その建物がある。

 田舎道を歩いていると、横長のリュック「キスリング」を背負って私の前を歩いている男が見えた。リュックに日の丸が縫いつけてある。昔の旅行記などに載っている写真を見ると、リュックに日の丸をつけて、「日本代表」を気取った人たちの姿があった。個人旅行なのに、探検隊や登山隊のような姿だ。1973,74年の旅で何人かが日の丸をつけているのは見ているが、考えてみれば75年のフランス北部で見たこの男が「日の丸旅行者」の最後だった。もはや「日本男児ここにあり」というような決死の冒険旅行気取りなど時代に合わないと気がついたのだろう。

 ユースホステルの近くまで来ると、先ほどまで私の前を歩いていた男が私の方に向かって歩いてきた。満室か?

 どちらともなく、「こんにちは」と声をかけた。1970年代から80年代なら、「日本人らしき旅行者」のほとんどは、アジア系アメリカ人などを除けば、まず日本人旅行者だった。

 「満室でした」と彼が言った。やはり、そうか。

 きびすを返して、私も彼と並んで街の方に歩き出した。

「街で、ホテルの看板を見ました。値段はわかりませんが、行ってみますか? 」宿代を割り勘にすれば、痛手は少ないのだが、問題はその宿代だ。

 石積みの小さな2階建ての宿だったと思う。部屋代を聞いたら、ふたりで折半すれば払える金額で、それを拒否したら野宿になるので、「ここにしましょうか?」と合意して、宿代を先払いして、2階に上がった。

 部屋のドアを開けて、ふたりは絶句した。絶句だから、ふたりとも声が出ないが、もし声を出すなら、「あ~あっ、これか・・・」だろう。部屋の中央にダブルベッドがあり、それ以外なにもない。フランスで、生まれて初めて男と同じベッドで寝ることになったのかという緊張感はお互いさまで、ふたりとも、それぞれのベッドの端ぎりぎりのところで寝た。落ちないように心がけることに懸命で、安眠はできなかったのか、あるいは、疲れ切っていて、田舎町ではすることもなく、暗くなったらすぐに寝たのかもしれない。その夜の食事をまったく覚えていない。レストランに行くカネなどないから、パンを買って食べたのだろう。

 べルギーのブルージュ、イギリスのバース(Bath。風呂のbathの語源となる街だとする俗説があるが、温泉地にちなんでBathという地名になったようだ)などで、ユースホステルに泊まった記憶がある。

 1982年から83年に東アフリカを旅した。もちろんガイドブックはないから、このユースホステルガイドの「ケニア」の項をメモしていた。だから、ナイロビ第1夜はユースホステルに泊まった。ケニアに行ったことがある日本人から、「イクバルという安宿があるよ」という情報を得ていたが、私はアパートを借りて長期滞在する予定だったので、ホテルに泊まる気はなかった。ところが、ナイロビには、私が「アパート」と想像できるような賃貸住宅は見当たらず、それなら安宿の週決めや月ぎめ料金はないかと交渉したが、どこも断られた。しかたなく、安宿の3人部屋のベッドひとつを日払いで借りることになった。

 というわけで、私の旅で最後に泊まったユースホステルは、ナイロビということになるようだ・・・、いや、その後ジャカルタのジャラン・ジャクサにあった協会非公認ユースホステルに泊まったような気がする。