カフェテリアが、どうも日本では広まらないような気がする。大きな部屋の壁側にいくつもの料理を盛ったバットや大皿や鍋が並び、客は好きな料理を皿にもらい、列の最期で代金を支払うという形式の飲食店だ。それにやや近いのはチェーン店のうどん屋だが、当然ながらうどんしかないから、カフェテリアとしては不充分だ。日本でもタイでも、大きなショッピングセンターにある食堂街は、壁側に店が並んでいるだけで、店はそれぞれ独立した営業だから、カフェテリアではない。ネット情報では、スターバックスをカフェテリア形式のひとつとしているが、飲み物とケーキや軽食しかない店は、本来の「カフェ」には近いが、「食堂でもある」という条件を満たさない。食べ放題の店やホテルの朝食バイキングが、日本ではカフェテリアにやや近いか。
カフェテリアで初めて食事をしたのは、1980年のニューヨークだった。その日、タイムライフ社で取材をしていると、ちょうど昼飯時になり、取材をさせてもらっている人が、「昼食に行きませんか? ご馳走しますよ。何が食べたいですか」と言ってくれたので、「社員食堂に連れて行ってください」と言った。
「遠慮しなくて、いいです。わざわざニューヨークまで取材に来て下さったので・・」
「いえ、遠慮しているんじゃないんです。こういう機会でもないと、社員食堂には行けませんから」
今、あの時の会話を思い出す。あの時代のビルは、国家機密に関わる業務をしているビルでもなければ、セキュリティーチェックなどないに等しく、私は勝手にオフィスまで入っていけたと思う。だから、いつでも社員食堂には入ることができたのだろうが、良識人として、勝手に入ってはいけないのだろうと思っていた。
タイムライフの社員食堂はカフェテリア方式で、料理が壁際の棚に並び、好きな料理をトレイにのせていく。清算方法は重量制なので、日本式に翻訳すれば「料理全品100グラム100円」というようなことになる。だから、サラダを手にした者は、もう一枚の皿で挟み、せっせと水を切ってからトレイにのせる。
次に重量制のカフェテリアに入ったのは、2000年代に入ってからのリスボンの商業ビルの食堂街だった。料金体系は覚えていないが、「安い!」と思わせる設定で、うまそうな料理をトレイにのせているうちに山となる。客は店の作戦にまんまと乗せられ、レジで予想金額を大きく超えていることに気づき、「おお、そうなるか」と自分の不注意と強欲を嘆きつつ、その代金を支払うことになる。
今、旅することを封じられ、自宅で蟄居していると、旅した地の飲食店の姿が思う浮かぶ。それが台北やハノイのセルフサービスの店だ。台湾では自助餐(じじょさん、ツーズーツァン)といい、ベトナムでは北部ではコム・ビンザン、南部ではコム・ビンヤンという。こういう店が大好きだから、すでに文章にしている。台北のものは雑語林554話、ハノイのものは785話に書いたので、ここでは繰り返さない。同様の店を、タイではラーン・カーオ・ケーン(汁かけ飯屋)という。自助餐でうまい飯を食いたいなあという願望は、タイの屋台よりもはるかに強い。ハノイのあの店も、うまかったなあ。
よく通った台北の店もハノイの店も、「うまい!」と思った理由のひとつは、回転のいい店なので、絶えず暖かい料理が並んでいたことで、台北の店では保温設備も施されていたように思う。気温35度を超えるような熱帯では、料理の温度はあまり気にならないのだが、30度を割り20度に近くなると、暖かい料理をありがたいと思うようになる。