1700話 東南アジアと日本の若い旅行者 その1

 マイナーな東南アジア

 

 外国旅行をしたいと思っている日本の若者にとって、東南アジアは長い間見えない地域だった。外国旅行と言えばヨーロッパかアメリカが目的地の相場で、団体旅行者はそれにハワイや香港や台湾などが入るのが、1980年代なかばまでの日本人の旅行事情だった。東南アジアへの渡航者もいたが、おっさんたちの業界親睦旅行や業務渡航などが多かった。

 そんなアジアのなかで、例外的な場所がインド&ネパールだった。「地球の歩き方」が初めてアジアに手をつけたのは、『地球の歩き方3 インド・ネパール 1982-1983』(1981年)だった。1979年発行の『ヨーロッパ1980年版』と『アメリカ1980年版』に2年遅れての出版だった

 その当時を知っている私は、「おお、次はインドかよ」と少々驚いたのだが、考えてみれば、当時の若者にとって、ビートルズやヒッピーの影響もあり、インドとネパールはアジアの中ではそれほどマイナーな旅行先ではなかったのだ。1966年、スーツの制服でステージに立っていたアイドル的ビートルズが、日本公演のあとちょっとインドに立ち寄り、それから2年後の1968年にふたたびインドに行き、服装も顔つきもヒッピー風になっていた。世界に「インド」を印象づける行動だった。シタールによるインド音楽や、「精神世界」というものも、かなりの影響を与えた。このあたりの話はいずれ詳しく書くことになるだろうが、1968年以降インドは世界の若者に強い影響を与える国になった。

 「インドとネパールはそれほどマイナーな旅行先ではなかった」というのはあくまで比較の意味だ。インドは、日本人の旅行先としてはマイナー地域ではあるが、アジアやアフリカなど第三世界のなかでは大メジャー地域なのだ。陽の当たるアジアだ。「インド」という国名を知らない日本人はほとんどいない。当時中国や元仏領インドシナは自由に旅行できる状態ではなく、インド&ネパール以外のアジア諸国への旅に興味を持ったのは、金子光晴竹中労鶴見良行などを読んでいた若者たちだ。翻訳文学を読んでいた者は、サマーセット・モームの短編や紀行文や、ジョージ・オーウエル(『ビルマの日々』)などを読んでいただろう。東南アジアに興味を持った日本の若者は、ヒッピーとか意識革命と言ったアメリカのカウンターカルチャーの外側にいた者たちだった。あるいは、日本の戦後賠償とか戦争責任とか、日本企業の行動などに興味を持った若者だった。

 1974年に、インドネシアを旅した。スマトラ、ジャワ、バリの3つの島をひと月半ほど旅して、日本人旅行者にはまったく出会わなかった。バリ島でさえ、日本人旅行者に会わなかったのだが、その話はのちほどやや詳しくする。

 東南アジアのなかで、例外的に若い日本人旅行者がいたのがバンコクだった。インド方面の行きか帰りに数日立ち寄った人たちだった。私の記憶では、1日当たり10人ほどいた日本人旅行者は、バンコク中央駅前のタイ・ソン・グリートと中華街の楽宮旅社にいた。ほかに、もしいるとすれば、マレーシアホテルかYMCAあたりだろう。

 日本人にとって東南アジアのイメージは、タイは麻薬と売春地帯であり、シンガポールは香港と並んで免税品の買い物をする場所だった。ジョニーウォーカーのウィスキーやシャネルの5番の香水のほか、ワニ皮のハンドバッグやダンヒルのライターなどが日本人旅行者が欲しがる商品だった。若者にとっては、「おっさんや農協の団体が喜んでいく場所」というイメージが強く、ましてや若い女性が「まあ、ステキ」と旅行欲をそそる地域ではとうていなかった。

 個人的な話をしておく。私も初めから東南アジアに興味があったわけではない。1970年代初め、外国を旅したいと思っていた私の頭にあったのはインドとネパールで、73年に日本を出た。その帰路、バンコクと香港に寄った。立ち寄りたかったのではなく、安い航空券がそうなっていただけだ。そのバンコクが快適だった。インドと違い、誰も「お前は日本でいくら稼いでいるのか」とか「父親の仕事はなんだ」、「その時計はいくらだ」、「その時計を売れ」などとは言ってこない。タイ人は私の後をぞろそろついて来ないし、じろじろ見つめたりはしない。スリも少ないらしい。インチキ臭い話をしかけてくる者もいない。市場に、ハエがいない。「あの山の向こうに神がいる」とか「生と死を深く考えろ」というような旅行者は、東南アジアにはいないようだ。

 「ああ、快適だ。タイが快適だから、今度はインドネシアに行ってみよう」と、1973年の私は思った。それ以後、私は東南アジア旅行をよくすることになり、今日に至るというわけだ。

 

 日本の若者にとって、東南アジアのイメージがどう変わって来たのかという話を、これから何回かに分けて書いていきたい。例によって、話の幅は広い。精緻よりも拡大だ。