1701話 東南アジアと日本の若い旅行者 その2

 日本のタイ料理店

 

 日本のタイ料理店の歴史から、日本人にとってのタイ料理との付き合い、そして東南アジアとの付き合いの話を始めたい。

 料理店は活字媒体などに記録が残っていないと、あとから足跡を追うのが難しい。

日本のタイ料理店の歴史はよくわからないのだが、「おそらく、ここが日本最初のタイ料理店だろう」という話は、このアジア雑語林207話(2007-12-07)に書いた。1950年代なかばに、歌舞伎座近くに「バンコック」という店があったのだ。この店が、本当に「日本最初」なのかどうか、自信がない。というのも、ある老ジャーナリストが、「叔父が戦前タイ語を学んでいて、東京のタイ料理店に通っていたという話を、だいぶ昔に聞いたんだけど、今となっては確かめようがないし・・・」と語った。

 戦後でも、「東京」ではなく、「日本」と範囲を広げると、とても私の手に負えない。しかも、例えば有楽町の慶楽のように、1950年創業の中国料理店だが(2018年閉店)、タイ料理も出していたというのだが、実際に食べる機会がないまま閉店してしまったので、どの程度の「タイ料理」を出していたのか、店の料理を画像検索してもわからない。あるいは、日本のどこかの街で、タイ人女性がいる飲み屋などで、タイ料理を出していたかもしれない。「タイ料理店」の定義によって、「最初のタイ料理店」が「いつ・どこに」という話はずれていく。

 雑語林215話に、上記207話の続報を書いた。以下は、そのコピー。

 

次は、207話に書いた「日本最古のタイ料理店」に関する話題。
 昔のタイ料理店について知っている方は連絡をくださいと書いたところ、森枝卓士 氏からメールをいただいた。

1970年代なかごろに、大学生時代だから1978年以前ということになるが武蔵小金井のマンションの1階にタイ料理店があったのを覚えていますが、店名など詳しいことはすっかり忘れました。

 

 やはり1970年代の福岡市に、「タイ料理を出す中華料理屋があった」と知り合いが話していたから、この「日本タイ料理店史」は深みにはまると抜けられなくなるが、片足の先をちょっとその深みに入れてみよう。資料と私の体験でわかる事実を年表風に書いてみよう。

1973年 バンコク(六本木)

1979年 チェンマイ(日比谷)

1980年 チャンタナ(中目黒)

    ペパーミント・カフェ(吉祥寺)

1982年 ペチャラット(五反田)

1983年 メーヤウ信濃町

 1980年代前半に、東京にあったタイ料理店はこの6店ということになる。大阪などにあったとしても、おそらく全国に10店もなかったと思う。日比谷のチェンマイで料理をしていた女性が、チャンタナを開店し、メーヤウの相談役になり、次に紹介するCAYのアドバイザーにもなる。チャンタナでアルバイトをしていたタイ人留学生がメーヤウに移り、日本橋タイ料理店(店名失念)のコックになり、のちにCAYと深い関係になる。私は、バンコクとペパーミント・カフェには行ったことがないので、どういう店かまったく知らない。

 なぜか、1985年以降、タイ料理店が急に増える。私が資料などで確認できたのは次のような店だ。

1985年 CAY(青山)

    バンタイ(新宿)

1986年 スコータイ(吉祥寺)

1987年 ウァンタイ(神戸)

    デポ・サワディー(京都)

1988年 ムアン・タイ(藤沢市

    メコン(池袋)

1989年 ピッキーヌー(阿佐ヶ谷)

    ゴールデン・リーフ(広尾)

    まみ(大阪)

 店名を忘れた日本橋タイ料理店のように、東京だけでもこのほかにもいくつかあったと思う。

 日本のタイ料理店はその後も増え続け、2005年ごろには500店舗近く、2013年には1000店舗近くになり、現在は東京だけで600店舗は超えているようだ。1980年代当時の私は、辛くて臭いタイ料理を、日本人が好んで食べるようになるとは到底思えなかった。1990年ごろをピークに、タイ料理店は淘汰され、「昔はブームに乗って、タイ料理店が何店舗もあったんだけどね」などと言うようになると思っていたのだが、予想は大きく外れてこういう結果になった。

 分岐点は、1985年だ。1980年代の前半と後半では、歴史が変わったのだ。