タイの観光政策
日本にタイ料理店が増えた理由は、日本人客が多く食べに行ったからだ。タイ人客だけを相手にするなら、こんなに多くの店舗は必要ない。
ここでは、タイがどのようにして世界に「タイ国」を認識させ、観光客を集めたのかという話をしたい。
タイが観光政策の機関を最初に作ったのは、1960年のTourist Organization、1963年の Tourist Organization of Thailand (TOT)で、1965年にニューヨーク事務所、68年にチェンマイ事務所もオープンしているが、まだ「観光」という時代ではないから、実質的にはほとんど機能しなかったと思う。この時代にタイが観光政策に手をつけたのは、IMFなど国際会議の開催国として売り出そうと考えていたからだろうと思われる。政情が安定していたからだ。
タイ政府が観光客誘致に本腰を入れるのは、1975年に終戦を迎えたベトナム戦争後の外貨獲得策を考えて、1979年にTAT(Tourism Authority of Thailand)を設置してからだ。ベトナム戦争中は、米軍関係者や報道関係者による「泊まる、飲む、買う」の収入があったが、終戦によりその資金源が断たれた。その穴を観光で埋めようという政策だ。
資料を読むと、1980年に“Visit Thailand Year”という観光キャンペーンをやったらしいが、記憶がない。おそらくそれほどの効果もなかったと思われる。このキャンペーンを1987年にふたたびやった。これが効果を発揮した。その当時タイに住んでいたから、タイはたちまちホテル不足になったのをはっきり覚えている。
タイ最初の超高層ビル、バイヨークタワー(150メートル)が完成したのは1987年だった。賃貸マンションとして貸し出したのだが、すぐさま入居者を追い出して、バイヨークスカイホテルとした(タイには居住権などない)。賃貸マンションよりもホテル業の方が儲かるという計算だ。建設中のマンションが、完成したらホテルになっていたという例は少なくない。そういう時代だった。バンコクの安宿が常に満室状態になり、私はしかたなく間借り生活に入った理由が、まさにこの観光キャンペーンだった。ホテル不足は安宿にも及び、安宿街カオサン地区の興隆はこの潮流のなかで生まれる。
ベトナム戦争後は、米兵の歓楽地パタヤよりも、プーケットやサムイ島に人気が集まる。観光客がどんどん増えていく。そのころのタイ入国者数の数字を見れば、1990年ごろの「観光化」への驚きなどアリのいびき程度のものでしかなかったとわかる。
タイ入国者数は、1982年に200万人を超え、1983年の「バンコク遷都200年祭」の盛り上げで入国者が増え、87年に300万人を超えた。翌88年には400万人を超え、このあたりがピークかと思ったが、とんでもない。その後も入国者数は増え続け、2006年には1000万人近くになり、2012年には2000万人に迫り、2016年には3000万人を軽く超えた。その変化のきっかけは、1987年の観光促進キャンペーンだとわかる。のちに詳しく書くが、『地球の歩き方』からタイ編が出版されるのが、この時代だ。
次に、日本人のタイ入国者数の推移を見てみる。1985年の日本人の入国者数22万人が、1990年には3倍近い63万人になっているのがわかる。そして、それから15年ほどで10倍にも増えている。こうして、日本人には観光地として相手にされなかったタイが、一気になじみのある場所になり、タイ料理が身近なものになっていたのである。
1970年 4万7000人
1975年 14万7000人
1980年 24万5000人
1985年 22万1000人
1988年 45万0000人
1989年 55万0000人
1990年 63万6000人
1995年 81万5000人
1999年 106万0000人
2002年 122万0000人
2006年 129万0000人
2015年 138万0000人
2018年 165万0000人
2019年 180万0000人
ちなみに、私がタイで暮らしていた1990年代の国籍別タイ入国者は、1位がマレーシア人で2位が日本人だった。2018年は、圧倒的1位が中国人で、以下マレーシア人、インド人、韓国人、ラオス人、そして6位が日本人(Bank of Ayudhya調べ)。ただし、「中国人」に香港人や台湾人も含めているようだ。