1708話 東南アジアと日本の若い旅行者 その9

 日本人とタイ・フィリピン 上

 

 相変わらず怪しげなメールが届く。いままでまったく接点のないJCBカードauや、メルカリなどから「登録の確認」などと称して近寄ってくる。皆様も、ご注意を。

 それはさておき。

 古来から日本人が憧れ敬意を示していたのは中国で、近代になりヨーロッパ(イギリスとドイツそしてフランス)、中国が尊敬の国枠からはずれるとアメリカが加わる。東南アジアは、日本政府と一部の人には植民地としての魅力はあったが、それ以外の人々にとっては意識の外にあった。

 戦後でも、アジアは「ただの後進国」であり、プラスのイメージはない。マスコミは、フィリピンのマルコスや、インドネシアスカルノスハルト独裁政権を報じた。東アジアも含めれば、韓国や台湾の独裁政権を報じ、タイの軍事政権報道も加わり、企業はそういった独裁政権と深い関係を作り大いに稼ごうとしていたが、「旅行したい国」にはなりようがなかった。

 私が初めてタイに行ったのは1973年だった。帰国して、「タイに行った」という話をすると、「ああ、タマモトの・・・」という反応が多かった。1960年代以前に生まれた人なら、「あああの人」と気がつくはずのタマモトである。カネさえあれば、女などどうにでもできる国というイメージが広がった。アジアを少し知っている人は、タイには黄金の三角地帯から「麻薬の国」というイメージもあった。マイナスではないイメージは、キックボクシングくらいだろうが、どう考えても裏社会のイメージがつきまとった。そういえば、舞台や映画の「王様と私」は日本でもよく知られていはいたが、それでタイのイメージが上がったとも思えない。

 あまりイメージの良くないタイでも、『地球の歩き方 タイ』は1985年に出ている。それから遅れること5年、1990年に『地球の歩き方 フィリピン』の初版が出た。出版が遅れた理由は、さしたる観光地がないというだけでなく、フィリピンに欠点が多かった。

 フィリピンに詳しい知り合いのジャーナリストによれば、「フィリピンと日本のヤクザは、はやりの言葉を使えば『親和性が高い』ということなんだけど、ボクシング興行にからむ戦前からの関係があるからね」と言った。

 戦前からフィリピン人ボクサーが日本で活躍していた。日本フェザー級の初代チャンピオンで、初の王座剥奪処分を受けたボクサー、ベビー・ゴステロは戦前から日本に住んでいたフィリピン人ボクサーだ。彼の話は名著『拳の漂流』で描かれ、アジア雑語林442話(2012-09-15)で紹介文を書いた。

 ヤクザとフィリピンの関係は、しばしば新聞紙上で接した。犯罪者がフィリピンに逃げるという例だ。実話をもとにしたフィクションだが、映画化もされた『海燕ジョーの奇跡』(佐々隆三)も、三和銀行オンライン詐欺の犯人もフィリピンに逃げた。有名無名の犯罪者がフィリピンに逃れるのは、受け入れ態勢があるからだろう。韓国映画を見ても、犯罪者はフィリピンに逃げるという構図ができている。フィリピンに対する濡れ衣ではなく、実像だ。

 ヤクザが射撃訓練のために、フィリピンに通ったというニュスを読んだことがある。ついでに自動車運転免許証を買い、日本で書き換えるということもしていた。日本に密輸入された銃の製造国はアメリカが第1位で、フィリピンは3位くらいだが、どこから日本に持ち込まれるかという密輸出港ではフィリピンがもっと上位に来る。銃、麻薬、女(入国書類の偽装や不法滞在)などが報じられれば、フィリピンのイメージが上がるわけはない。

 フィリピン南部での、身代金目当ての日本人誘拐事件(三井物産支店長誘拐事件は1986年)があり、ピナトゥボ火山の大噴火は1991年だ。イメージが悪く、治安が悪く、災害も多いとなると、観光地としての人気が高くなるわけはない。

 「女に好かれない土地は、大観光地になれない」という原則がある。この前川が言い出したことだが、日本人旅行者の多くが女性であることを考えれば、女性が避ける場所は観光地にはなりにくいのだ。

 フィリピン同様、麻薬や売春のいうイメージが強かったタイだが、1980年代後半に「タイって、すてき」などと言いだして、タイに行く人が増え、「るるぶ海外上方版タイ」の発売は1997年だった。

 フィリピンとタイにどういう違いがあったのか。その話は、次回。