1713話 東南アジアと日本の若い旅行者 その14

 バリのガイドブック

 

 日本人とバリの関係史を、旅行ガイドブックと航空便から眺めた年表を作ってみた。

日本からバリへは直行便がない時代は、マニラ、グアム、ジャカルタなどで乗り換える必要があり、時間がかかった。そんななか、1975年にインドネシアのセンパチ航空(Sempati Air)が羽田とバリ島のデンパサールを結ぶ直行便が就航した。ただ、この航空会社は曰く因縁のある会社で、資料では1979年まで直行便が運航したことにはなっているが、現実にどの程度の運航であったかどうかわからない。それとは別に、1970年代だと、日本人観光客がバリにどっとやってくる時代ではなかった。だから。この航空会社がなぜ日本とバリを結ぶ路線を開設したのかわからない。ジャカルタ線は日本航空ガルーダ航空の路線があるとはいえ、観光開発もまだあまりされていないバリに日本人を運ぼうとした意図は、この航空会社がスハルト大統領の息がかかった政治的な会社だったからだろう。輝かしい観光史は、裏のどろどろした政治経済史も頭に入れておかないと解明できない。

 日本人のインドネシア観光小年表

1972年 『東南アジア・韓国・インド』(交通公社のワールドガイド)

1972年 『最新東南アジアの旅』(ワールドフォトプレス

1976年 『インドネシアの旅』(ワールドフォトプレス

1983年 『交通公社のるるぶガイド シンガポール/バリ島/ペナン』

以上4冊は、ツアー客用のガイドブック。

1983年 『宝島スーパーガイドアジア インドネシア

1987年 『地球の歩き方 バリとインドネシア

1989年 ガルーダ航空、名古屋-デンパサール便開設。注:デンパサールはバリ島の中心となる街。

1990年 ガルーダ空港、福岡―デンパサール便開設

1992年 『JTBるるぶ情報版 バリ島』

1993年 『るるぶ情報版 るるぶバリ島 1993~94』(以降、毎年出版)

1993年 帝国ホテルがバリに進出し、Hotel Imperial Bali開業(現地法人から運営を委託された)。2003年撤退。現在は、The Royal Beach Seminyal Bali

1994年 日本航空、東京(成田か羽田か不明)がジャカルタ線を延伸してデンパサールへ

1996年 全日空、東京―ジャカルタ・デンパサール線就航

1998年 ガルーダ航空、成田―デンパサール線就航

 成田・ジャカルタの所要時間は約8時間。成田・バンコクは7時間(復路は5時間)だから、ジャカルタに行くだけでもバンコク便よりも時間がかかる。バリに行くなら、なおさらだ。LCC以前に安くバリに行くなら成田―クアラルンプールージャカルターデンパサールと飛ぶこともあり、えらく時間がかかり、航空券も高くなる。これが、タイ旅行とインドネシア旅行の違いである。

 1990年代に入り、日本人にとってバリは特異な観光地になった。推測で書くが、東南アジアのなかで、男より女の方が多く訪れている地はバリだけだろうと思う。そして、「週刊新潮」(1995年9月)の「バリ島に遊ぶ日本女性の生態」という記事が話題を呼ぶ。日本の女がバリで男を買っているといった記事はほかの雑誌にも出たし、単行本にもなっている。それがどれだけ正確なものかは知らないが、事実だとしても、日本の男が韓国や台湾やタイでやってきたことを、日本の女が小規模にバリでやっているということだろう。

 たんに音が似ているだけだが、パリ(Paris)とバリ(Bali)は日本人女性を刺激する魅力があるようだ。