1721話 無理を重ねた『中国料理の世界史』 その4

 宮廷料理

 

 「タイの宮廷料理」なるものの話の続きだ。

 タイには自称「宮廷料理店」なるものがあり、BANGKOK naviの紹介記事を読むと、なんと「宮廷料理とタイの一般料理は基本的には同じメニューであるようです」とはっきり書いている。誰が書いた文章かわからないが、よくぞ書いたと言ってやりたい。取材先に気を使って、なんとか称賛の原稿にしたいとは思うが、「宮廷料理」という特別な料理はないんだよなあというライターの気持ちがよくわかる。

 「宮廷料理」という特別なものはないんだと知ったのは、次の本を読んでからだ。

 王族のひとりでもある元首相ククリット・プラモートは、その講演やインタビュー記事を集めた“M.R. kukrit Pramoj His Wit and Wisdom”(Editions Duang Kamol , 1983)で、「宮廷料理は村の料理を高級化したものにすぎない。食べやすく小さく切ってあるとか、そういう違いだ」と述べている。もう少し解説をすると、肉が多いとかココナツミルクが多いとか、花が添えられるとか果物の飾り切りがついているとか銀の食器を使うといった「高級化」はされているが、料理そのものは基本的に宮廷の料理は家庭の料理と変わらないのだ。財力に物を言わせて、山海の珍味を集めたという料理ではないのだ。

 ちなみに、彼の名前の前についているM.R.というのは英語のMr.ではなく、王族の敬称である「モムラーチャウォン」の省略形である。

 ある意味で宮廷料理と言えるのは、菓子だ。材料費がかかり、手間がかかり、時間がかかる菓子作りは女官が大勢いる宮廷でこそ、日常的に作ることができた食べ物だ。1995年1月のタイの英語新聞「バンコクポスト」でタイの菓子を大々的に取り上げたことがある。拙著『タイ・ベトナム枝葉末節紀行』(古本屋で安いよ)にメモを書いている。タイの菓子がつい最近まで広まらなかった理由は、宮廷の製菓技術を受け継いだのは上流階級の夫人たちで、「生活のために菓子を売る」という必要がなかった。例え売り出しても、高価だから一般には売れなかった。宮廷料理人が街でレストランを開いたという岩間説に説得力はない。

 次の文章も、説得力がない。『中国料理の世界史』の277ページに、こういう文章がある。

 

 1960~70年代からは、バンコクのレストランでも、中国料理の影響が相対的に減少し、タイ料理が勃興していった。

 

 「なぜ?」と余白に記入した。どういういきさつで「中国料理の影響が相対的に減少し」たのか、書いてない。何を根拠に、どのくらい「減少し」たのか、何も書いてない。「タイ料理が勃興」したという証拠も示していない。私はこのアジア雑語林1711話などで、ベトナム戦争と訪問客が増えた影響で、タイ料理店が増えたという話を当時のガイドブックを資料にすでに書いている。そういう話は、過去にも何度か書いている。私の説が正しいかどうかわからないが、岩間氏もある説を展開するならが、その根拠となる事例を提示する必要がある。

 この本の全体にわけのわからん記述が多いのは、読んだ資料の切り張りを繰り返すことで、怪しげな翻訳文になり、論文としての整合性を失ったからだ。この学術論文は、そういう矛盾に満ちた記述があふれている。