1723話 無理を重ねた『中国料理の世界史』 その6

 タイの調理法とパッタイの料理

 

 中国から鉄鍋が伝わる以前のタイでは、「土鍋で調理したので、調理方法は浸す、和える、煮るなどであり」(278ページ)としている。もう少し詳しく説明すると、もっとも普通の料理は山野草を生かゆでて、タレに付けて食べるというものだ。これに、直火で魚や肉を焼く、あるいは水煮するというものだ。あまり普通ではないようだが、バナナの葉で包んで焼くか灰に埋めて蒸し焼きにするという料理もある。上の料理法で、山野草を使い、香辛料やハーブを入れ、魚醤で味付けしたのが基本的なタイ料理だと言える。

 炒めるや揚げる、そして(蒸籠で)蒸すのは中国料理起源だと考えられる。栽培野菜を使い、炒めたり揚げたりし、醤油を使う料理が中国料理だ。わかりやすいのは、辛味の強いトウガラシを使ったものはタイ料理。中国料理で使うなら、トウガラシは甘味種のものだ。生のコショウを使うとタイ料理、粉末コショウを使うと中国料理。麺、豆腐、モヤシ、カキ油、片栗粉、小麦粉などの食材を使えば、中国料理ということになる。細部を無視して大別すればこういうことになり、食堂の料理を見ても、すぐにどちらの料理かわかる。

 しかしそれは、出自あるいはその系統が「タイか中国か」がわかるということで、バンコクなど都会に住んでいるタイ人が、日常的にタイ料理と中国料理を明確に区別して食事をしているわけではない。日本人がトンカツや餃子を食べて、「外国料理を食べている」と特別の認識はしないのと同じだ。タイ語の授業の時に教師がこの話をして、「北京ダックは明らかに中国料理だけど他は・・・」と言っていた。高級中国料理店にしかない料理は中国料理だが、街の食堂や屋台にある料理は、「これが中国料理だ!」とはっきり認識していないということだ。ただし、農山村に住んでいるタイ人は別の判断基準がある。

 タイ料理の食材の話はすでにした。今回は、料理の仕方の話をした。それを踏まえて、この『中国料理の世界史』の第2部第3章の「タイ パッタイ国民食文化・海外展開へ至る道」のメインテーマであるパッタイの話をする。

 パッタイというのは、パット(炒める)タイ(タイ風)というのが字義で、簡単に言えば「タイ風焼きそば」がその実態だ。ただし、自称「タイ風」がどれだけタイ風なのかは大いに疑問があるのだが、まずは筆者岩間氏の解説を箇条書きにしてみる。

パッタイは1930年代末のバンコクで、ナショナリズムの観点から、中国の麺料理と区別する目的で、タイの麺料理として生まれた。

,第二次大戦中に、コメ不足の対処法として、政府はコメの消費量を減らすために砕米をクェイティアオという麺にして炒めて食べることを奨励した。

,ピブーン首相は、クェイティアオに「大豆豆腐、乾燥エビ、ニンニクの葉、卵、生のモヤシを炒めることで、中国料理の名残りを消して、タイ料理にしようと考えた。とくに、豚肉は中国料理の食材であり、タイ人は豚肉をあまり食べなかったので、その代わりにエビを入れた」。

,「政府によって、クェイティアオの代わりに作って食べるものが奨励されるようになった。クェイティアオをパッタイに代えたのは、タイ文化の領域から中国を排除するタイ政府の努力の一環であり、パッタイは、中国料理を改良して、完全なタイ料理として確立させたものといえる」。

 さあ、どうでしょう。納得できますか? とんでもない説だぞと私は思う。各項目の点検は長くなるので、次回から2回にわたって詳しく点検することにする。