1727話 無理を重ねた『中国料理の世界史』 その10(最終回)

 そのほかにも、もうちょっと

 

 282ページに、こういう文章がある。

 

 「クェイティアオ・ラッドナ(kuay tiew rad naa)」は、炒めたクェイティアに肉や野菜を入れ、少し粘りけがあって甘く塩辛いスープを用いる。これは、日本の「広東麺」に近く、タイでもっとも人気がある中国料理の一つになっている。

 

 ラット(かける)・ナー(上に)という意味で、料理用語では「あんかけ」を意味するから、クイティアオ・タットナーはあんかけ焼きそばのことで、汁そばにあんを乗せた広東麺とは違う。「タイの中国料理」の定義にもよるが、これが「もっとも人気がある中国料理」だと同意するタイ人がどれだけあるかなあ。この料理を検索すると、出てくる画像が器や盛り付けからして、欧米で作ったような姿だ。英語の文献が参考資料としてあげられているが、著者は実際の料理を食べたことも見たこともがないのかもしれない。

 次の文章。

 

 注意すべきなのは、このようにクェイティアオを使った麺料理が数多くあるなかで、パッタイだけが、タイを代表する国民食となって、そのほかはタイの中国料理とされている点である。

 

 パッタイ以外の麺料理はすべて「中国料理」だと、誰が認定しているのか。タイでもベトナムでも、麺が日常の食生活に深く入り込んでいるから、「麺料理は中国料理」と簡単に断定できないのだ。祭りでもなければ麺を食べる機会がない農民にとっては、パッタイもまた中国料理(あるいは外国料理)なのだろう。

 283ページの次の文章。

 

 タイ国外でタイ料理店が開かれるようになったのは、公式には1985年からとされている。

 

 タイ人が書いた資料を出典としているが、タイ料理店を開くのに「公式」などあるものか。資料の原文を読んでいないが、推測するに、この年に政府がタイ料理を世界に広めようとしたということだろう。

 284ページの文章。以下のようなタイの食文化解説など書かなければよかったのに。

 

 タイ料理は地方による差があるが、それにもかかわらず、魚醤、レモングラス、コリアンダ、ニンニク、甘いタイ・バジル、ミント、唐辛子、ショウガあるいはカヤツリグサ(galingale)など混ぜ合わせ調味させた味が、タイのものと認識できる共通の味わいとなっている。なお、大豆で作る醤油は、タイでは中国料理以外ではあまり重要ではない。

 

 「甘いタイ・バジル」というのは、”Thai sweet basil”を翻訳したのだろうか? 「スイート・バジル」が植物名で、タイでは「バイ・ホー・ラパー」という。同じバジルなら、日本で俗に「ガパオ飯」などと呼ばれている料理に入れるバイ・カプラオ(holy basil)の方がはるかによく使われている。

 「ショウガ」は、中国料理でよく使う食材で、タイ料理で使うのは同じショウガ科の「カー」で、トリ肉のココナツスープの「トムカーカイ」のカーだ。学名はAlpinia galanga。イギリスでgalingaleと呼ばれている植物はツリガネソウ科のCyperus longusのこと。間違いやすい名だが、この植物は食用にはしない。ツリガネソウ科の植物で食用にされるのは、シナクログワイくらいだ。タイ料理には酸味も重要で、マナオ(ライム)は欠かせないが、ここにその名はない。

 大豆を原料にしている醤油は、シーユ・カオ、シーユ・ダム、シーズニングソース、オイスターソースなどがあり、屋台でもよく使う。「中国料理」の定義にもよるが、「あまり重要ではない」とは、とても言えない。この本の「タイ編」の冒頭で、「こういう料理を、タイの中国料理とする」と定義しておけばのちの混乱はある程度避けられたのだ。

 まだいくつか書きたいことはあるが、最期にひとつ。286ページに「東北料理」(イーサーンといったり、北東といったり一定しない)の特徴は、「・・・『ソムタム(somtam)』と呼ばれるパパイヤサラダや、地元の野菜を食べることなどにあるという」という文章の、「地元の野菜」は、なんか変だ。おそらく翻訳の問題だと思う。元の英語はわからないが、「その土地の植物」つまり「そこの山野草」なら内容的にあう。

 3回くらいで終わるコラムだと思ったが、引用が多いので長くなった。この本のおかしなところはまだまだあるが、これにて終了。食文化の校閲練習本として推薦する。