1730話 文化の研究

 前回、『食卓の上の韓国史』で、研究の基本姿勢「食の歴史研究法」14項目のなかから6項目を紹介した。その部分を読みながら思い出したのは、私がタイ音楽の勉強をしていた1990年代の日々だ。

 そのころ毎年タイで半年ほど過ごしていた。音楽はまだCDの時代ではなく、ラジオとカセットテープの時代で、音楽は街にあふれていた。路上にはカセットテープ屋が店を開き、大音量で販売強化商品を流していた。スピーカーから流れ出てくる音楽に関して、ほとんど何も知らないが、「タイ人と音楽の生活史」が気になった。音楽ライターが書くような、音楽情報そのものにはあまり興味がなかった。歌手とプロデューサーへのインタビューと、コンサートのレポートで「一丁上がり」という文章ではなく、音楽を聞いているタイ人の物語に興味があった。とはいえ、その基礎となるタイの音楽の基礎知識がないのだから、たとえ専門家に会ったとしても、適切な質問もできない。だから、まずはラジカセを買い、ラジオとカセットから流れる音楽を聞いた。毎日片っ端から新旧タイ音楽のカセットテープを買い、部屋でひたすら聞いた。すると、いくつかの音楽ジャンルがあることがわかってきた。日本の音楽事情で言えば、ペギー葉山とダークダックスと西城秀樹三波春夫かぐや姫の違いのようなものだ。

 帰国して、日本音楽史の勉強をした。それが最良の勉強法だと思ったからではなく、タイ音楽の資料は古典音楽に関するものがわずかにあるだけだから、しかたなく、「藁をもすがる」思いで、日本歌謡史などの資料を読むと、これが意外にも大いに参考になった。伝統音楽しかない世界に西洋音楽が入ってきた衝突や融合という点では、日本もタイも同じだった。建築史も服飾史も同じ歴史なのだとわかってきた。

 「音楽とタイ人」をテーマに物事を考えていると、考えておかなければいけない考察要件がいくつもあることに気がついた。簡単に言えば、「この点に気をつけろ!」という注意点だ。順不同で、こういう項目が頭に浮かんだ。

◆現在だけを見ているのではなく、歴史を振り返れ。

◆都市と農山村の違い

◆地域差。北部と南部とか、沿岸と山村といった違い。他国と比較することも必要。ほかの国なら、離島などの事情も考慮する必要がある。

◆民族の違い

◆宗教の違い

◆貧富の差

◆階層の違い。富裕者がその社会で上流だとは限らない。豊かではない貴族もいる。成金もいる。

◆学歴の違い

◆男女の違い。ジェンダーの違い。

◆年齢の違い

 音楽に限らず、ほかの文化を考えるときも、この要件を当てはめてみるクセがついている。食文化研究もこの要件で考えるから、『中国料理の世界史』で安易に「国民」という言葉を使われると、「その『国民』って、誰のこと?」と言いたくなるのだ。バンコクは、中国からの移民が作った。だから旧市街は中華街だ。そこで育った2世や3世は中華街の外を仕事場や住宅にする。その後、地方からの出稼ぎ労働者が流入して人口が増える。バンコクはタイ第1の街だが、バンコクに対応するような大都市がほかにないのだ。日本には東京のほかに大阪や名古屋や福岡など人口が100万人以上の都市は12ある。タイの場合、バンコク都の人口は資料によって大きく違うが(住民登録をしていない者が多いから)約600万人くらいだ。バンコクは行政上東京23区と同じで、いわゆる県庁所在地というものがない。ほかの県には県庁所在郡があるが、「市」とした方がわかりやすいので、ここでも「市」を使う。人口が多い県庁所在地をいくつか挙げると、ノンタブリー市27万人、コラート市17万人、チェンマイ市17万人といった具合だ。これを日本に当てはめれば、人口で言えば、東京の次が函館で、次が釧路といった具合なのだ。

 こういう事情を調べずに、バンコクの例を出して、「タイの国民は・・・」などと安易に言ってはいけないのだ。