1731話 尿意を催す その1

 『食卓の上の韓国史』を読んでいるときの休憩に、アマゾン遊びをした。韓国関連の本を探すと、俳人が釜山からソウルまで歩きながら句作した旅行記が見つかり、その本を注文した。『サランヘヨ』(黛まどか実業之日本社、2003)は、2001年8月から2002年10月までの間に5回に分けて釜山からソウルまで歩き、読売新聞夕刊に「サランヘヨ 韓国に恋をして」というタイトルで、2001年10月から2002年12月まで連載したものに加筆して1冊にまとめたものだと、この本を読んで知った。

 とくに理由はないのだが、ひとりで歩いたというふうに思っていたのだが、旅した「一行」の事情はあきらかではない。なぜかイニシャルだけの「Yさん」とカメラマンらしき人もいるのだが、総勢何人でどういう体制で歩いたのかよくわからない。その話は、あとで書く。

 イベリア半島旅行記を書いていたとき(アジア雑語林 876話から86回、2016年)、資料を探していて、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼900キロを歩いた旅行記『星の旅人-スペイン『奥の細道』』(黛まどか、光文社、2000年)の存在を知った。この作家の本は読んだことはないが、感動的な内容でも参考になりそうな情報もなさそうな予感がして手にしなかったのだが、今回は「韓国物」ということで、買ってみたのだが、可もなく不可もなくという程度だった。文章が短く掘り下げた内容にならないのは、新聞に連載していたものだからか、それともそういう文章を書く人なのか、どちらかわからない。

 黛まどかをまったく知らないのでネットで調べていると、意外な人物が批判的な文章を書いていることを知った。自称「F爺」こと言語学者小島剛一さんの「F爺・小島剛一のブログ」でのことだ。

 私は著者を批判する気はないのだが、「なんだか、すっきりしない」という読後感が残った。新聞の連載という企画があっての旅なのだが、どういうバックアップがあったのか、よくわからない。2001年の時点だとまだグーグルマップはないから、印刷物の地図を使うのだが、ハングルの地図をどれだけ解読できたのか、飲食店や宿泊地の情報はどうやって得たのか。この本の後半では、行き当たりばったりの行程のようだが、山中で夜になったらどうする気なのかといったことなどがわからない。男の一人旅で、テントや寝袋を背負った徒歩旅行記なら現実にあるが、1962年生まれの俳人にはその覚悟や準備はなさそうだ。

 インターネットで宿を予約する時代ではなかったとしても、電話で空室の有無や予約はできるが、そういう作業をだれがやったのか、あるいは宿の予約や歩く道に飲食店があるのか、なければ飲食物を持ち歩いたのか。そういったことが、まったくわからない。読売新聞社側がどれだけのバックアップをしたのか知りたくなるが、まったくわからない。「本当は、著者は歩いていない」などといった批判をしているわけではない。旅の詳細を知りたいというだけのことだ。

 ツアー客なら、どこで食事をしてどこで泊まるかはもちろん、どこでいつトイレに行くかといったことも、ガイドや添乗員が予定していてくれるのだが、ガイドがいない(らしい)徒歩旅行となると、どうやって円滑に旅を続けられたのだろう。たとえばトイレだって、男なら「その辺の雑木林で・・」ということも可能だが、著者一行にはそういう心配はなかったのか。

 本の内容に深く入って行けないので、読みながら「旅行中の尿意」に連想が移っていった。