1732話 尿意を催す その2

 

 日本人の旅行史を書くために、多くの旅行業関係者に話を聞いた。添乗経験30年以上という人が、こういう話をした。

 添乗員にとっていちばん重要なことは、お客様の安全。次は予定通りの行程。「3番目はトイレでしょうね。的確なタイミングで、日本人の使用に耐えるトイレに案内するというのは、毎日の旅行の中で大変重要なのです」といった。元日本航空社員だった作家深田祐介も、日本人の膀胱は小さいのか、おしっこが近い人が多く、ガイドは苦労するといった内容の文章を書いていた。旅行社側は、客から不満が出ないように、旅程のなかに的確にトイレ休憩を入れていて、「この先、2時間以上はトイレがありませんので、かならずここで済ませておいてください」とバスで案内をするのだが、ガイドの話を聞いていない客や、「オレは、いい」などという客がいて、しかしバスが出て1時間後に、「バスを停めろ。しょんべんだ!」と怒鳴る。「トイレはありません」といえば、「その辺でするから、いい。バスを停めないと、ここでするぞ!」などと怒鳴る。「添乗員やガイドは、トイレのことで本当に苦労するんですよ」という。エジプトでガイド経験がある作家田中真知さんにこの話をすると、「ホント、そうなんですよ」と我が事として同意した。真知先生も、その昔は客のトイレのことでご苦労なさったらしい。

 旅行をしていてもしていなくても、食べる事と出す事と眠る事は重要なのだが、旅行中のトイレの話を書く人はあまり多くない。「旅先で、こんなすさまじいトイレに出会った」とおもしろおかしく書く人はいても、いつもの旅のいつものトイレのことを書く人は、なぜか私以外そう多くないと思う。私の旅行記では、毎回必ずトイレの話を書くのは、毎日街を散歩しながらトイレのことを考えているからだ。「トイレを見つけたら、『今は必要ない』と感じても、今後どうなるかわからないから、かならず行っておく」という方針だからだ。そういう心構えでないと、毎日ふらふらと散歩などできない。数日の滞在で、毎日美術館や観光施設などに行くのならトイレの心配はないだろうが、私は「ただの街」を歩く。ときには団地も歩く。だから、いつも頭にトイレのことを考えていかないといけないのだ。

 トイレが重要じゃないなんて人はひとりもいないのに、旅行記に書くことを避ける理由はなんだろう。

 『トイレのない旅』(星野知子講談社文庫、1997)は、そもそもトイレなどない、いわば秘境の旅行記だ。私がここで取り上げるのは、ごく普通の旅のなかで「尿意を催した」話だ。そんなことを考えたのは、『美しいものを見に行くツアーひとり参加』(益田ミリ幻冬舎文庫、2020)を読んだからだ。

 この本は、ツアーにひとり参加した作家の旅行記だ。私はツアーというものを知らないから、こういう本で団体旅行というものの情報を得る。「クリスマスマーケットの旅」の章から、ちょっと紹介する。この旅行は、2011年12月1日から5日の「ドイツクリスマス早めぐり5日」(16万5900円)で、「ひとり部屋追加料金込み」と明記しているのがいい。これからの時代(いや、昔からなのだが)、ツアーにひとりで参加したいという人が増えるから、こういう情報は親切だ。

 ちょっと話がそれるが、インターネットによる航空券サイトをまだ見つけられなかったころ、ネットで安い航空券を探すと、かなり安い航空券が見つかり、詳細を調べたら、「2人同時購入の場合の料金」という注があり、航空券往復1枚だけの購入だとえらく高い。ひとり旅よりもふたり旅の方が多いようだから、これはうまい商売なのだろうが、いつもひとりで旅している私は差別されたような気分だった。ツアーのひとり参加料金が高いのは知っていたが・・・・。

 さて、クリスマスマーケットのツアーの話だ。

 成田発フランクフルト行き12時間の空の旅。「ほぼ満席だった。座席は通路側でホッとする」という感想は、よくわかる。旅を始めたころは窓側の席を選んだが、もうだいぶ前から通路側の席を選んでいる。通路側の席をさす”aisle”という表示はすぐに覚えた。いつも”window side , please”と言っていたから、aisleは「アイスル」と黙読していたが、実際にそう発音して「え?」と聞き返され、正しくは「アイル」と発音するのだと知った。

 かつて、飛行機の通路側の席を選ばなかったのは、その当時の旅行先が東南アジアが多かったからだ。5,6時間の飛行なら、出発と到着の空港で用を足すことにすれば、機内でトイレに行かなくてもよかった。インドネシアに行くにしても安い経由便を選んだから、機内のトイレは使わなかった。それが、ヨーロッパ方面の旅をするようになり、トイレと屈伸運動などのために席を立つことが多くなり、通路側の席を選ぶことになった。益田氏も同じ考えだ。

 あっ、また思い出した。ヨーロッパからの帰りの飛行機には、トイレに窓があった。便器に向かって立つと、雲海を眺めながら小用ができて、気分がすこぶる良かった。調べてみると、B787機の一部のトイレに窓があるようだ。エアバスA200-100機などにも、窓のあるトイレがあるらしい。

 いつものことだが、枝葉の話が多くなり、話が長くなったので、続きは次回に。