1734話 尿意を催す その4

 

 このコラムは前回で終わる予定だったが、食べることと出すことは毎日繰り返しているので、ネタには困らない。しかも、旅行者同士の雑談でもよく出る話題なので、レパートリーも広い。「そういえば・・・」と思い出すことが限りなく多いのであと2回続編を書くことにする。

 そういえば、バルセロナサグラダ・ファミリアに行ったとき、尿意はまったく感じなかったが、いつものように「行けるときは行け」という法則を実行に移すと同時に、「我、サグラダ・ファミリアで放尿セリ」と、犬のマーキングのようなことをしたかったという理由もあった。博物館や美術館ではかならずトイレに行くことにしているから、ルーブル美術館でも大英博物館でもトイレに行っている。大英博物館のトイレットペーパーの1枚1枚に”Government Property”(官有物)と印刷してあり、ハトロン紙のような感触で、少々いただいて便箋として利用した。1970年代の話です。あのときは気にも留めなかったが、あんな堅い紙を流していいのは不思議だ。もしかして、便器の脇にゴミ箱があるのに気がつかなかったのだろうか。ハトロン紙が水に溶けるとは思えないのだ。

 そういえば、アフガニスタンを自由に旅行できた昔に・・・と友人が話し始めた。移動中の長距離バスのなかで「ぐる~」と腹が鳴り、危機警報が発令された。とてもがまんできそうにないので、大声で「STOP!!!」とわめき、腹を押さえて緊急事態だと乗客に示した。事情を理解した運転手はバスを停めてくれたが、そこは砂沙漠。木も小山もない。振り返ってバスを見ると、乗客全員が窓から自分を見つめている。だからといって100メートル先まで遠ざかる余裕などなく、腹をくくってその場にしゃがみ込んだ。

 「車内で漏らすより、見られる方がマシと思ったんだけど、考えてみれば、バスの真後ろ、バスの影ですれば、誰にも見られなかったんだけど、そんなことを考える余裕はなかったんだ」

 モンゴルに行ったことはないが、移動式住居ゲルにはトイレがないのは知っているから、長年モンゴルに通って調査をしている女性研究者に「困りませんか?」と聞いたら、「みんなと同じように、適当に済ましています。慣れれば、特に困りません」とのこと。

 そういえば、タイ山中の少数民族の家に居候していたときも、タイ南部のイスラム教徒が住む村でも、家にトイレはなかった。北タイの村では、大用は川で。南タイの村ではインドと同じように器に水を入れて林に行く。雨が降っていると大変だ。

 そういえば、スーダンナイル川下りの船旅をしていたときのこと。船で知り合った旅行者たち5人ほどで、カルツームの川岸を散歩していると突然、ひとりがしゃがみ込んだ。名門プリンストン大学アメリカ)の大学院博士課程在学中(専攻を聞いたが、理解できなかった)で北欧系の美人がしゃがみ込んだ。めまいかと思ったが、その足元から、一条の水流が。ワンピースを着ているから「ズボンを下す」という動作はない。彼女は立ち上がり、まるで何もなかったかのように歩きながら話をした。

 我々旅行者は、宿も同じだった。宿と言っても中庭に置いたベッドで寝ていた。屋外の方が涼しいからだ。夜になると彼女はワンピースを脱いだ。パンツにTシャツが寝巻だ。

「あと2週間すればアメリカだから、洗濯はしなくてもいいか」と恐ろしい独り言を言っていた。