1741話 神保町の天丼

 前回、神保町古本屋巡りの話で「昼は天丼だ」と書いたいきさつは、日ごろよく神保町を歩いている人や、あの近辺で仕事をしている人たちなら、私の連想がわかったかもしれない。

 神保町といえば、今ではカレー屋激戦区で、古本屋がラーメン屋に変身した例も多いのだが、昔は天ぷらの街だといってもよかった。「いもや」を店名にした天ぷら屋が何店もあり、同名のとんかつ屋もあった。

 私の古本屋散歩の順路はいつの間にか、水道橋駅を降りて、白山通りを南下して靖国通りに出て、その辺をうろつき、へとへとになって御茶ノ水駅に行くというルートだった。それが今は御茶ノ水駅を降りて、ディスク・ユニオンのジャズ館に寄ってから古本屋に向かうことになった。散歩ルートが変わった理由は、天丼だ。

 かつて、水道橋駅で降りていたころ、白山通りで「天丼 いもや」と書いた大きな暖簾がかかっている店を見つけ、カウンター席だけの店内はいつも混んでいて、昼飯時を外しても空席を待っている人がいた。順番を待って飯を食うのは好きではないが、ある日、「天丼、いいな」という気分で、待っている人は数人だったので、私も店内で待った。食べてみれば、うまかった。値段以上の価値があった。

 それが天丼の「いもや」神保町2丁目店との出会いで、いつのことか覚えてはいないのだが、1970年代だと思う。それ以降、80年代、90年代としばしば「天丼のいもや」に行った。神保町のほかの飲食店にももちろん行ってみたが、それらの店に通うことはなかった。神保町を「カレーの街」として売り出そうしているが、カレー屋にはあまり行っていない。私は、能書きのついた料理は好きではない。

 それがいつだったかはっきりとは思い出せないのだが、2000年代に入ってからかもしれない。いつも行く「天丼のいもや」の料理人がいままで助手だった男に変わった。それまで何年も助手を務めて天ぷらの技を盗み、仕事に励んだのかと思ったが、これがダメだった。衣が厚すぎて、しかもふわふわだ。「フリッターを食ってんじゃない!」とケチをつけたくなる味だった。

 そう感じたのは私ひとりではなかったようで、かつては席が空いていることなどなかった店なのに、店の前を通るとガラス越しに空席が見えた。しばらくして、心を入れ替えたかと思い、再訪したが、やはりふかふかの衣で、私の好みには合わなかった。食通のエッセイに、「あの店は料理人が変わって、味が落ちた」などというのが時々あるが、まさにそれだった。私は「天丼いもや」は見限り、近くの「とんかつのいもや」に立ち寄ることになった。

 2018年に、その2店のいもやが閉店した。天丼の店がダメなのはわかるが、「とんかつのいもや」の方は、客がいつも順番を待っている店で、ご近所の昼飯処として愛されていた。この文章を書くためにちょっと調べたら、神保町の何店舗もある「いもや」の直営店が、たまたま私が通っていた2店らしいが、閉店の理由は知らない。

 白山通りの古本屋はなじみの店が少なく、次第に古本屋からの転業が進み、しかも天丼ととんかつの店に寄ることも無くなったので、水道橋駅で下車する意味がなくなった。その後、御茶ノ水駅そばにディスク・ユニオンのジャズ専門店ができたので、さらに水道橋は遠くなった。

 古くからやっていた古本屋が別の店になる主な理由は、後継者がいないかららしく、古本屋を廃業してビルの大家になったようだ。大通りに面した古本屋は減ったが、路地のなかで新規営業を始めた古本屋は多いらしいが、「なるべく本を買わないようにしている」私は、路地裏古本屋探検に出かけてはいない。

 のれん分けした「いもや」名義の店舗はまだ神保町にもあるようなので、今度行ってみようか。