1745話 ドイツとロシアの間の国々 その1

 あれは多分、今年の2月20日ごろだったと思う。ラジオを聞いていたら、ジャーナリストの青木理が、こんなことを言っていた。

 アメリカは、ロシア軍がウクライナに侵攻するなどと言っているが、そんなウソにだまされてはいけません。ロシアがウクライナに攻め込むなんてありえません。

 ロシア政治などまったく知らないし、アメリカ情報を無批判に信じることのない私でも、「違うな、ロシアはやるぞ」と思った。

 2月24日、ロシア軍がウクライナとの国境を越えて侵攻を始めた。

 それから数日後だったと思う。あの青木理がまたラジオに出演し、世界情勢を語るという。「番組に意見や質問があれば、メールでお寄せ下さい」というアナウンスが流れたので、「青木さん、ご説明を」と書いて送った。詳しく書かなくても、何の説明かはわかるはずだ。

 放送で、青木氏はこう説明(弁解)した。多くの研究者が、ロシア軍の侵攻などありえないと解説しているので・・・。つまり、ロシアの素人だから専門家の意見を採用したのですということなのだろう。その時の私は、専門家たちが「侵攻はない」と解説していたことを、不勉強にも知らなかった。侵攻後、その専門家たちが「想像もできないことです」、「不覚にも、予想できませんでした」と悔しそうに語っているのを聞いた。専門家が「侵攻ナシ」という理由にあげたのは、おもに「ロシアに利益なし」ということだった。

 そういうことも何も知らぬ私が、「ロシアはやるぞ」と思ったのは、単純な反共思想ではなく、ここ何年かの間に、ドイツとロシアの間の国々、チェコポーランド。そして、エストニアラトビアリトアニアバルト三国を旅した経験から、学問的根拠もなく「ロシアはやるぞ」と思ったのである。

 チェコの首都プラハの中心地にある旧市街広場を散歩していたら、手書きの立て看板が見えた。「ロシアのクリミア占領に抗議する」というものだった。それが「今のロシアの行為」だが、このあたりのことを少しは勉強すれば、ソビエト時代やその前のこともわかってくる。

 エストニアの最東端、ロシアと国境を接する地にナルバNarvaという都市がある。国内では、首都タリン、東の都市タルトゥに次ぐ第3位の都市だ。第2次世界大戦中、ナルバはナチス・ドイツ軍とソビエト軍の激戦地となり、市街はほとんど破壊されつくした。戦争前からエストニアは独立国だったが、ソビエトはナルバを占領し、エストニア住民の帰還を許さず、その代わりにロシア人を移民として送り込んだ。その結果、有数の工業都市ナルバの人口の95パーセントはロシア人という構成になった。

 1991年にソビエト崩壊によりエストニアは晴れて独立した。エストニアの中で「ロシア人」であり続けたナルバ住民は、ロシアに帰還することはせず、かといってエストニア語を学びエストニア人に帰化することもせず、かつての支配層はそのまま残っている。エストニア政府は、過去の恨みがあるのだろうが、帰化するにはエストニア語の試験を課した。いままでエストニア文化を見下してきたロシア人には、やさしい試験ではない。彼らがロシアに助けを求めれば、エストニア侵攻があるかと言えば、エストニアNATO加盟国だから、簡単には侵攻できないということに過ぎない。だから、正面からの侵攻はしなくても、裏工作はあるだろうと思っている。