プラハで出会ったジョージアからの留学生は、ソビエト、ロシア、共産主義が嫌いで、会話のあちこちにその感情が現れてくる。ヨーロッパで21世紀最初の戦争と言われる南オセチア紛争(別名ロシア・グルジア戦争)があったから、ロシアは彼にとって現在の問題だった。
そこで、「もし、もしもだよ、ロシアなんてなかったらこの地域はどうなっていたかなんて考えたことある?」と聞いてみた。彼は、何をバカなことを聞いているのという表情で、「ナチスの占領下だったというだけだ」と言った。どっちにしろ、地獄が待っていた。
ドイツとロシアの間にある国々は、悲劇の歴史を押し付けられてきた。第二次大戦でドイツに占領されると、占領下の国民はドイツのために戦うことを強制され、ソビエト軍と対峙した。その後、ソビエト軍が優位に立つと、今度はソビエト側に立って戦うことを強制され、ドイツ軍と戦うことになる。その時点ではソビエトは救世主だったが、その後もソビエトは居座り支配を続け、ソビエト連邦の国々を苦しめた。そういう歴史は、チェコやポーランドやバルト三国の過去と現在を調べていくなかで、少しはわかってきた。その話は、アジア雑語林1293話ほかでちょっと書いた
ラトビアの首都リーガで、若き元銀行員と外国語教育について話をした。
ソビエト時代はロシア語は外国語ではなく公用語で教育言語でもあった。ソビエトがら離れたあとは、ラトビア語が公用語になり教育言語になった。外国語はまず英語。その次は、ドイツ語かロシア語のどちらかを選ぶのが普通で、「僕はロシア語を選んだ」と言った。ロシアが好きとかそういうことじゃなくて、「ドイツ人は英語をしゃべるから、ドイツ語は学ばなくてもいい。ロシア人は英語をしゃべらないから、ビジネスのことを考えればロシア語を勉強しておくべきだって考えたんだ」。
この話を思い出し、ロシアとのビジネスに関わっていた人やロシア語教師たちの今が気になる。ロシア系住民との軋轢はあるのか。ロシア系住民は、元々好かれていたわけじゃないから、今は余計に嫌われているだろうなと思う。ソビエト時代、ラトビアに限った話じゃないが、反ソビエト、反政権と認定された住民は、列車に乗せられてシベリアに送られた。そういう展示は、リーガの鉄道博物館にあった。
バルト三国のどこの都市に行っても、元KGB(ソビエトの国家保安委員会)の建物が残っていて、一種の観光名所になっている。私は移転などの都合で足を踏み入れることはなかったが、内部には留置場や拷問室などがあったらしい。
東ドイツの秘密警察はシュタージといい、小説や映画などで度々取り上げられている。ドイツ映画「善き人のためのソナタ」は今のところ今年見た映画のなかで最高傑作だった。予告編は、これ。KGB東ドイル支部に勤務していたのが、プーチンだ。
ソビエトもロシアも関係ないが、ただおもしろかった映画という紹介なのだが、「ヒトラーの贋札」もよかった。
こういう話とは別に、ウクライナ報道を見ていて、外国のメディアに対してあたりまえに英語で受け答えをしている市民のなんと多いことか。これが日本で、津波や地震の取材に来た外国メディアに英語で対応できる現地の役人や政治家がどれだけいるだろうかといったことを考えた。ウクライナには行ったことはないが、私の体験では英語をしゃべる人はこのあたりの国にいくらでもいると想像できる。だから驚いたのは英語力ではなく、かなりしっかりした日本語をしゃべるウクライナ人がけっこういることだ。
長くなりそうな予感がして、「その2」としたが、今回はこれで終わりにしておく。