1747話 都道府県

 たまたま古本屋で益田ミリの本を見つけた。安いし、旅行記なので買ってみた。『47都道府県 女ひとり行ってみよう』(幻冬舎文庫、2011)なのだが、「女ひとり」で思い出したのはその昔、旅行人編集室でスタッフと旅行記のあれこれをしゃべっていたら、国会図書館の蔵書検索をすると、「女ひとり」といったタイトルの本が数多いんですよという話を聞いたのを思い出した。今ふたたび、国会図書館の蔵書リストにあたっても、旅行記らしきものに限っても『女ひとりヴェトナムを行く』(平松昌子、講談社、1965)などいくらでも見つかる。女はひとりで旅すると旅行記が出版されやすいということだろう。

 今回のコラムは「女ひとり」ではなく、「都道府県」の方だ。

 私は幸せにも、1980年代に雑誌の取材などで日本各地に行った。観光旅行ではなく、ワンポイントの取材だから、広くは知らないが、少しは日本国内旅行ができた。昔を思い返して、全都道府県に行ったことがあるかどうか考えてみると、1歩も足を踏み入れていないのは徳島県だ。1歩も大地を踏みしめていないが、鉄道で通過したというのは富山県だ。

 記憶がはっきりしないのは鳥取県だ。島根県出雲大社には行った。写真を撮るだけの、簡単な仕事だったから、大社のことはあまり覚えていない。タクシーの運転手が、大社に着く直前に、「ほら、そこが竹内マリアの実家の旅館です」と指さしたのは覚えている。JR大社駅は覚えているが、一畑電車出雲大社前駅を見たかどうかの記憶がない。

 島根に行ったが、飛行機は使っていないと思うから、関西から鳥取を経由して出雲に行ったのかもしれないが、鳥取の記憶がない。もしかして、岡山か広島の取材の後北上したのかもしれないが、そういう記憶もないが、その可能性はある。

 その県で取材をしていながら、1泊もしていないのは、茨城と埼玉は日帰りができるからという理由はあるが、山形は米沢の武家屋敷の取材をして仙台に戻ったから泊まっていない。

 高知の取材はよく覚えている。1月4日だった。機種はYS-11だったような気がするが、確信はまったくない。朝の第1便で羽田を飛び立つと、冬の青空は晴れ渡り、富士山はもちろん戸隠も見え、その向こうに日本海も見えたような気がする。空港から取材先のイセエビ養殖場に行き、午後には羽田行きの飛行機に乗っていた。

 ある年のこと。全日空とタイアップした日本紀行の仕事があった。取材にかかる移動費用の大部分を全日空が負担すれるというもので、航空券引換券のような束をもらった。飛行距離によって、東京・大阪なら2枚。東京・福岡なら3枚という具合になっていて、空港のカウンターで手続きすればカネを払う必要がない。ただし、東京・名古屋間も飛行機を使えばタダだが、鉄道を使うと少ない取材費から出すというこという欠点があり、不便なこともあった。

 九州取材の旅は、福岡から始めて鹿児島で終えた。このまま鹿児島から羽田に飛んでもおもしろくない。鹿児島・羽田も那覇・羽田の同じ引換券3枚で、手元にまだ引換券が残っているから、「よーし、沖縄で遊ぶぞ!」と那覇に飛んだ。もちろん宿と飯は自腹だが、交通費がタダになったのはありがたい。原稿は帰宅してすぐに書ける。

 この時の沖縄を除いて、取材を終えたらすぐに帰宅していた。当時は、日本にそれほど興味がなかったということもあるが、日本での出費を極力減らし、東南アジアでの取材費にしたいと思っていたから、「無駄遣い」はできなかったのだ。そのころは、日本で稼いだカネを持って東南アジアに行き、食文化の研究をしていた。