1749話 日本の旅から 上

 その年の4月は北海道にいた。取材旅行だ。知床の羅臼(らうす)に行った。ちょっと山に入ると、まだ雪があった。羅臼のあと南下し、尾岱沼(おたいとう)に行った。午後標津(しべつ)に戻り、遅い昼飯をとろうと店を探し、食堂に入った。壁に貼ってあるお品書きの「鍋焼きうどん」に目が止まった。とにかく、寒いのだ。4月でも、歯がガチガチいうほど寒かった。

 テーブルの下から雑誌を取り出して、鍋焼きうどんが来るのを待った。ちょっと前の週刊誌に、食べ物屋に関するガイドがあった。「溜池にできたばかりの・・・」、「経堂の・・・」といった具合に飲食店紹介の文章が続く。その文章を読んでいるのが標津の食堂で、その雑誌作りが東京のことしか考えていないことに、地元北海道の人間でもないのに、少々怒りを感じた。知らない地名の羅列は、人をイライラさせる。

 首都圏に住んでいる私は、普段は何ということもなく読み捨てる文章なのだが、北海道で読むと印象はまったく違う。全国民が溜池が池ではなく赤坂に近い場所の名だと知っているのは当たり前だという傲慢な態度だ。雑誌は、東京でこのように作られている。

 大阪から東京に出てきた芸人が、「桃谷で・・」とか「木津川では・・」という話し方をしていて、大阪出身の先輩芸人から、「そんな地名、東京の人は知らない」と注意されたのを覚えている。大阪ローカルの放送と全国放送の区別がつけられない芸人は、しばらくすると大阪に帰ることになる。さすが島田紳助は、能勢(のせ)を「大阪の北の端の田舎」と説明してから能勢の話をした。それが芸人の腕なのだが、東京の芸人はそんな配慮はしない。「東京の地名を知らないお前が田舎者だ」という態度で、それをウリにしたのがとんねるずだ。三宿だの太子堂だのといった地名を口にして、ギョーカイにあこがれる地方の若者を刺激した。

 標津の食堂での体験から、「首都だけを見て、その国を判断しない」という考え方ができてきたように思う。

 タイの食文化を考え、次にタイの音楽を調べるなかで、首都中心思考から離れよという意識がだんだん強くなってきた。

 バンコクでの飲食体験だけで、「タイ料理は・・・」などと解説しない方がいい。台湾は小さな国だが、台北とは違う食文化が各地にある。チェコプラハにひと月居て文章を書いたが、「チェコの文化は・・・」とか「チェコ人の性格は・・・」などと言った話は多分書いていない。「プラハにひと月」とはいっても、郊外や地方都市と農村もほんの少し見た。それで十分とはもちろん思わないが、首都以外の地に行かないよりは行った方がいいという程度の差はあったと思う。

 だから日本でも、大マスコミの「東京が日本だ」という姿勢は改めるべきだが、まあ無理だな。連続ドラマだって、制作の利便性を考えて、舞台は東京か神奈川に設定されている。