1750話 日本の旅 下

 その昔に体験したある旅の話をいつか書きたいと思っていたが、それがどこのことか思い出せないでいたのだが、天下のクラマエ師のツイッター(5月26日)に、能登穴水町の「ぼら待ちやぐら」の記事が出ていて思い出した。そうだ、そこだった。

 ボラの取材でそこに行ったのだ。店でボラ料理の取材をした翌日早朝、この「ぼら待ちやぐら」の写真を撮り、喫茶店でコーヒーとサンドイッチの遅い昼飯を食べた。「その地に城跡があるので、できれば写真を撮っておいてほしい」というの編集部の意向もあった。その前に喫茶店に寄って休憩と情報収集だ。

 「この近くの城跡って、どう行けばいいですか?」と、40代後半くらいの店主に聞くと、「草が生えているだけのところで、なんにもないですよ。だから、見つけにくく・・・」と言ったあと、店でアイスコーヒーを飲んでいる坊主頭の高校生に、「案内してあげて」と言った。親戚の子といった感じだった。

 高校生は、ズズッと最後のアイスコーヒーをすすり、「行きますか」と言って立ち上がった。

 ジリジリと太陽が照りつける夏だった。

 「きょう、日曜日だけど、学校に行ったの?」田舎道を歩きながら、話しかけた。

 「学校じゃないです。試合です。野球の」

 「で?」

 「負けました。予選1回戦で、負けました、ハッハッハ」と、じつに軽やかに笑った。勝負よりも、野球が楽しくってしょうがないという感じだった。

 夏の取材は、いつもどこからかラジオの野球中継が聞こえてきた。高校野球の地方予選の場合もあるし、全国大会の中継ということもあった。沖縄の港に、ドアを開け放った自動車が何台も止まり、ラジオの野球中継を大音量で流していた。野球中継を聞きながら釣りをしているのだ。沖縄の高校が甲子園で戦っているのだろう。どこかの街の商店街のラジオから、野球中継のアナウンスが聞こえてきたこともある。港町の水産加工場から聞こえるラジオだったこともある。夏は、野球に興味のない者は日本人じゃないという雰囲気の季節だが、私は高校野球プロ野球にも興味と知識がない。だから、たとえその地の高校が勝ち進んでいても、野球の話で盛り上がることはなかったが、一応の礼儀として「よかったでね」とか「このまま勝ち進むといいですね」という、心のこもらない対応はした。

 マスコミが商売のために作り出す高校野球の感動の物語にヘキヘキしているし、授業よりも高校の名を売れという私立高校の宣伝隊としての野球部にもうんざりしているのだが、能登で出会った高校野球部部員の「カラカラ」と表現したいほどの明るさは、まぶしかった。まるでNHKのドラマに出てくる明朗快活、裏表のない少年のようだった。

 野球部弱小高に拍手。

 田舎道をしばらく歩いて、高校生が小さな岡を指さした。

 「これです。ね、草しかないでしょ」

 彼の言う通り、草が生い茂っているだけの岡で、石垣など城跡らしき痕跡は見えない。一応、お仕事ということで、草をかき分けちょっと写真を撮った。

 「ありがとう」と礼を言って駅に行こうとしたら、

 「ウチはすぐそこです。ちょっと休んで行ってください」と集落を指さした。

そのなかの1軒に行った。家人はいないようで、高校生はバッグからカギを取り出して引き戸を開け、「どうぞ」といった。私を縁側の椅子に案内し、すべての窓を開け放ち、扇風機を私の脇に置き、向きを確認したあと、冷たい麦茶を持ってきてくれた。

 どんな話をしたのか、まったく覚えていない。その時、私は30歳ちょっと前の年齢で、高校生との会話に苦しんだと思うが、嫌な時間ではなかった。

 穴水の城跡と言うことで、ネット検索すれば、穴水城址が出てくるが、今は城址としてきちんと整備されている。私が見た草ボーボーの岡とはエラク違うので、別の場所だったかと疑いたくなるが、あの夏からもう40年近くたっているのだから、整備して観光地に変身したのだろうか。そのあたりの事情は、調べきれなかった。カラカラと屈託なく笑っていた高校生は、そろそろ50歳に手が届くはずだ。

 クラマエ師の写真から、遠い昔の能登の夏を思い出した。