録画したままになっていた「ワールド・トラック・ロード」(NHK)を見た。アメリカの番組の日本語版ではなく、日本のオリジナル番組だが、長距離トラックの助手席に乗せてもらって旅をするという番組は、日本のBSでも放送していたから、企画に目新しさはない。それでも、アメリカの大型トラックの車内はどうなっているんだろうかといった疑問のままに見ていたら、これがけっこうおもしろかった。冷蔵庫や電子レンジもあるから後部席はキャンピングカーのようだ。アイダホの養魚場から、西海岸のポートランド(オレゴン州)や、南下してラスベガス(ネバダ州)に魚を運ぶ運転手の人間物語というのは、内容の半分。あとの半分は車窓の風景だ。「アメリカの美しい景色を日本人に見せたい」というのが、このドライバーの希望でもある。
私は、いわゆる風光明媚には興味がないのだが、明媚ではないただの風景をポカーンと眺めているのは好きだ。畑や森や住宅地や工業地帯などをバスや鉄道の窓から眺めているのが好きだ。10時間でも20時間でも、飽きないのだ。畑の作物は何なのか考えたり、住宅の姿を見ているだけでも楽しい。
番組を見ながら、「また、アメリカバス旅行をするのもいいな」と思った。1980年に、ロサンゼルスから転々としながら南回りでニューヨーク、そしてそのニューヨークからシカゴ経由の北回りでまたロサンゼルスに戻るバスの旅をしたことがある。アメリカ各地を移動しつつ、「自分の仕事史」を語ってもらうというある週刊誌の企画で、取材地も取材対象者も自分で探す。貧乏企画だから、もちろんコーディネーターも通訳もいない。数週間分の原稿とフィルムをまとめて郵便で送るというアナログ時代だ。
編集部は何のお膳立てもしてくれないが、それは逆に言えば、自由な取材ができるということだった。取材の移動手段としてバスを使っただけだから、自由気ままな旅を楽しんでいたわけではないが、グレイハウンドバスの乗り放題切符を使って1万キロ以上の旅をしたことになる。そんなに乗っていても、退屈したことなど一度もない。
サンフランシスコにいたとき、カリフォルニア州の州都サクラメントに電話をする用があったが、電話代が高い。カネはないが、バスの乗り放題切符は持っているから、電話をするためにサクラメントを往復したことがある。片道150キロほどの移動だから、たいしたことはない。
NHKのこの番組で、バックに3曲流れた。1曲目は知らない歌だが、カントリーだ。シカゴから携帯ラジオを聞きながら移動したアイオワとかネブラスカといった地域では、24時間カントリーが流れていたような気がする。番組で2曲目に登場した歌を聞いて、「やっぱりな」と思った。ウィリー・ネルソンの「On the road again」。3曲目はイーグルスの「Desperado」というのは私の好みではベタすぎる。
NHKのテレビ番組で見るアメリカの雪道や砂漠や、ただのなんということもない道路や道路脇のドライバー用の店など真新しさはないが、なつかしさはある。
昼食休憩で立ち寄ったドライブインのペーパーバックの円筒形スタンドで、リチャード・ブロディガンの”The Abortion: An Historical Romance”(日本版タイトル『愛のゆくえ』)を買った。再販制度のないアメリカだから、何年も風とホコリを浴びてきて変色したペーパーバックだった。安物の探偵物やサスペンス小説ばかり集められているスタンドに、この1冊が場違いに置いてあった。その勢いで、ニューヨークの古本屋で、やはりブロディガンの”Sombrero Fallout: A Japanese Novel”(日本版タイトル『ソンブレロ落下すーある日本小説』)を、装幀を気に入って買った。そんなことを思い出した。別に、ブロディガンが好きではないんだけどね。
現在のバス料金はどうなっているのかなと調べているうちに、昔のバス旅行がじわじわとよみがえってきた。
私の旅の1年前、1979年に『地球の歩き方 アメリカ』が発売されているが、書店で見た記憶はない。出たばかりの、そのガイドブックを持ってアメリカに向かった若きグラフィックデザイナーが、かの天下のクラマエ師である。43年前だぜ、蔵前さん。