1758話 アメリカ・バス旅行1980 その5

刺身

 ニューヨーク市まであと数時間というあたりだから、ペンシルバニア州の街だろう。満席に近い状態で、私の隣りの席に座ったのは20代前半くらいの黒人女性だった。しばらく雑談した後、私が日本人だと知ると、「前から気になっていることがあるんだけど・・・」と切り出した。

 「友だちが、日本人は魚を生で食べるって言うんだけど、ウソだよねえ、そんな話」

 「いや、ホントだよ。魚も貝も生で食べるんだよ」とすかさず言った。イカとタコという生物のことを彼女は知らないと思うから、口にしなかった。

 「うっ、う~」

 その時の彼女は、「日本人は、ミミズを生でスパゲティーのように食うんだよ」といっても同じ反応をしただろうと思われるような、苦渋の表情だった。

 1980年のアメリカにおける刺身、すし事情はその程度だった。すしを食べるアメリカ人は、東洋趣味の元ヒッピーか、朝鮮戦争ベトナム戦争時に日本での生活体験があり、日本人の恋人がいたり日本人と結婚してカリフォルニアに住んでいるという「特殊な経歴と嗜好のある」アメリカ人だった。大多数のアメリカ人は、日本料理に関して興味も知識もなかった。

 日本料理は、あまり肉を使わない。油脂をほとんど使わない。スパイスをあまり使わない。魚貝類を生で食べる。料理の多くは、味付けを醤油に頼るといった特徴があるために、「日本料理は世界では受け入れられない」というのが、当時の食文化研究者の一致した考えだった。

 すしが受け入れられるようになった要因のひとつは、「スシバー」という形態にあると思う。カウンターでの食事というのは、ダイナーと呼ばれる飲食店を除けばアメリカには存在しない。隣の席に座った赤の他人と、飲み食いしながら語り合う場が「スシバー」だから、誰かと話をしたいという人たちに受け入れられたのだ。

 アメリカで日本料理が受け入れられた最大の要因は、「アメリカ合衆国上院栄養問題特別委員会報告書(1977年12月)」(通称:マクガバンレポート)で、日本人のように肉や油脂を控え、野菜中心の食生活を送れば健康になれるという報告から、「日本型食生活」が話題になり、少しづつ日本料理が広まっていった。大都市に住むアメリカ人が日本料理を食べ始めたころに調査したのが、『ロスアンジェルスの日本料理店 その文化人類学的考察』(石毛直道ほか、ドメス出版、1985)で、そのあたりの事情に詳しい。

 サンフランシスコで、社員教育用ビデオの制作をしている夫婦を取材させてもらった。「話は自宅で」ということなので、教えられた住所に行くと、そこは日本なら「団地」という感じの中層アパートが並んでいる住宅地だった。夫婦の部屋は、リビングルームに家具らしきものはあまりなく、部屋の隅に布団がたたんで置いてあった。テーブルは円いちゃぶ台だから、床に座る。

 「昼ごはんを食べてから、話をしましょう」という。昼飯をごちそうしてくれるようだ。さて、何が出てくるのか期待していると、椀に入った豆腐の味噌汁だった。「味噌汁だけの、昼飯?」と疑問符だらけでいると、椀をさげて、皿の料理が運ばれてきた。そうか、コース料理という意味か。皿の料理は、日本そばのゴマ油炒め。そばの後は、大福と日本茶

 夫婦は日本に行ったことがなく、今風の表現で言う「日本オタク」というわけでもなく、おそらくは、ヨガや禅、マクロバイオテックなどに深い関心があるのだろうが、インタビューではそういう話はしなかった。アメリカを知っている人なら、「いかにも、サンフランシスコらしい」と言うだろう。

 1980年ごろから、日本料理に興味を持つアメリカ人が少しずつ増えていった。ニューヨークやカリフォルニアの大都市に住む「変わり者」の話だが・・・。