1760話 アメリカ・バス旅行1980 その7

 1980年の取材旅行では、ガイドブックは持っていなかった。観光旅行ではないので、英語の旅行ガイドを買っても使わないと思ったからだ。資料は小さな地図だけ、ノートには取材先の住所を書いていた。インタビューしても、メモを取らない。話を聞いたら、できるだけ早く原稿にする。だから、ノートにはほとんどなにも書いていない。移動ルートのメモといった日記のようなものもない。だからブログのこの文章はすべて記憶で書いているが、20代で、ひとりで集中して移動していたからか、取材の大筋と、場合によっては細部も、わりと覚えている。

Hopper

 テキサス州ダラスだ。ミズーリ州セントルイスからのバスで、早朝、この街に到着した。取材させてもらった人たちに、「取材させてくれそうな人がいたら、紹介してください」といって、ノートを渡し、氏名と連絡先を書き出してもらった。そのリストのなかに、ダラスの弁護士がいた。取材させてもらえるかどうかの電話はダラスに着いてからすることにしている。電話代が高いから、遠隔地からあらかじめ電話する経済的余裕はなかった。

 バスがついたのが早朝5時前だから、弁護士事務所に電話するのは早すぎる。外は大雨だから、散歩もできない。時間つぶしに、コーヒーを飲みにバーガーキングに行った。グレイハウンドと提携関係にあるのか、ターミナルにはたいていバーガーキングが入っていた。

 コーヒーを飲みながら文庫本を読んでいると、「ここ、いい?」という声が聞こえた。30代の黒人が立っていた。

 「どうぞ」

 私に面接するかのように真正面に座り、「暗号がタテに続いているようなのは、何語ですか?」と聞いた。日本語だという話をして、旅の目的などを聞かれたことから、ライターだと答えた。

 「ぼくも、小説を書いているんだ」と話を合わせてきた。

 「どんな本を書いたの?」

 「いや、まだ本にはなっていないけど・・・」

 私も同じだ。まだ1冊の本も書いていない。

 「どんな作品が好きなの」という質問から、アメリ黒人文学の話に入っていった。1970年代前半は、アジアの本と同時に、R&B(リズム&ブルース)やジャズへの興味から、今風に言えば、アフリカ系アメリカ人関連書をまとめて読んでいた。その後、70年代後半から90年代末までは、アフリカの本を読んでいた数年間を除き、東南アジアや韓国・台湾の本を読み、2000年代に入りヨーロッパの本を多く読むようになった。

 1970年代前半に読んでいたのは、アメリカ黒人の歴史や評論などが主だが、より深く深く知りたくなって小説も読んだ。ラングストン・ヒューズ、リチャード・ライト、ジェームズ・ボールドウィン、ラルフ・エリスンなどわずか10人足らずの作家の本を読んでいただけだが、バーガーキングの「小説家」に質問はできる。

 具体的にどういう話をしたか覚えていないが、「おもしろかった」という記憶はある。

 「あの、ちょっと・・・」と、小説家は言い出しにくそうに話し始めた。

 「昨日からメシを食ってなくて、飯を食わしてもらえないだろうか」

 その時初めて気がついた。彼は手にはトレイもカップも持たずに、私の前に座ったのだ。即座に「飯代をくれ」とは言えずに、話を切り出す気配をうかがっていたようだ。

 普通なら断るのだが、講師謝礼として数ドルを渡した。ハンバーガーと飲み物が買えるはずだ。カネを持ってそのまま消えるかと思たのだが、小箱を手にして同じテーブルに戻ってきた。紙の箱には巨大なハンバーガーが入っていた。

 「それ何?」

 「ワッパー(whopper)さ」