1762話 アメリカ・バス旅行1980 その9

 

 そのジャクソンが、「日程の問題」ということで取材できなかった人がいた街だ。

 木曜日の夜、ミシシッピー州ジャクソンに着き、金曜日に先方に電話したら、「来週月曜日の朝にならないと来週のスケジュールが決まらない」というので、月曜日にまた電話することにした。

 宿の近くに、車が2台やっとすれ違えるくらいの道があり、その左側は白人の姿しか見えず、右側は黒人ばかりで、道路の裏は粗末な家が点在していた。家ができたときは小ぎれいな「新築一戸建て」だったのだろうが、手入れをしないまま長い年月が過ぎた姿をさらしていた。空き地では子供たちがはしゃいでいた。昼飯を食う場所は白人側にしかなく、こちらも古ぼけただけの食堂に入ると、老いた常連客たちが、入ってきた私を凝視した。にらみつけたと言ってもいい。食事をする気にはなれず、コーラを飲んですぐに店を出た。

 映画「イージーライダー」(1969年)で、オートバイに乗った3人が入った食堂とその常連客の目を思い出した。その当時、私は腰まで髪を伸ばしていた。

 「これから東に行くんだけど、イージーライダーのような目に合うかな?」とロサンゼルスで取材を受けてくれた人に聞いた。その人物はカウンターカルチャーとかヒッピーの時代をよく知っていて、世間の真ん中を生きてきた人ではないから、私の言わんとすることはすぐにわかった。

 「髪が長いというだけで、いきなり撃たれるということはもうない・・・ような気がするけど、南部に関して言えば、この10年で状況が大きく変わったとは言い難く・・・」と、えらく歯切れが悪い。

 こんなジャクソンで週末を過ごすのはいやだ。バスターミナルで路線図を見て、週末はニューオリンズで過ごすことにした。真南に260キロの週末旅行だ。

 月曜の朝、ジャクソンに戻り再び取材依頼の電話をすると、「その人物は、しばらく出張中」と別の社員が言った。本当に突然の出張だったのか、それとも取材を断る居留守だったのかわからないが、もうこの街にもう用はないので、すぐさまバスに乗り、またニューオリンズに南下した。ニューオリンズに着く少し前、バスは水上を走る。ポンチャートレーン湖縦断水上橋コーズウェイ(38キロ)のドライブだ。考えてみれば、この時の取材旅行で、仕事とはまったく関係ないのに訪れた街は、このニューオリンズだけだった。出発前の思惑では、早々とインタビューをこなし、空いた時間はどこかで遊んでいようと思っていたのだが、そんな余裕はまったくなかった。

 私は建築に興味があるが、ガラスと鉄の現代建築には興味がないので、ロサンゼルスのような街は肌に合わない。私が知っている街でいえば、サンフランシスコやニューオリンズやボストンのような街が好みに合う。

 ニューオリンズには2度滞在したのに、記憶していることは少ない。公園で警察のブラスバンドの演奏を聴いた。その1曲が“And The Beat Goes On”(The Whispers、1976)だったのは、今でも覚ええている。そのほかは、何をしていたのか記憶がない。何を食べたのかも覚えていない。

 路面電車が好きなのに、「欲望という名の電車」に乗った記憶がない。なぜ乗らなかったのかという理由もわからない。ただ、ニューオリンズが私の肌に合い、ただ散歩をしていたと思う。観光客向けのジャズバーには、もちろん行っていない。かといって、ドクター・ジョンやネビルブラザーズに代表されるニューオリンズ音楽を求めて街をさまよったということもなさそうだ。1980年当時、私はまだニューオリンズサウンドを知らなかったと思う。今調べてみれば、1978年の映画「ラスト・ワルツ」でドクター・ジョンを見ているのだが、ニューオリンズ音楽に関する知識は、まだなかったのだろうと思う。

 これからの取材を考えながら街を歩いていた。取材ノートには、この先ニューヨークまでインタビュー候補者の名はないので、一気にニューヨークまで行こうか考えていた・・・のだろうと思う。