ニューヨークで小さなラジカセを買った。遅ればせながらインタビューを録音するためだが、録音を聞いたらよく理解できるというわけではないので、もっぱらラジオを聞いていた。
ニューヨーク滞在中はいつもラジオで音楽を聞いていた。ありがたいことに、24時間音楽を流しているFM局があり、その当時はいくつかの局の周波数は暗記していた。「あのとき、よく流れていたなあ」と思い出すのは、ビリー・ジョエルの”New York State of Mind”(1976)だ。歌詞はやさしく、大体の内容はわかった。日本語がまったくない世界だったから、集中力は研ぎ澄まされていた。
ニューヨークを離れた男が、懐かしのニューヨークに戻っていくという内容で、こういう歌詞が聞こえてきた。
“I’m taking a Greyhound on the Hudson River Line. I’m in a New York state of mind”(僕は、グレイハウンドのハドソン川線に乗っているんだ。今、ふるさと、ニューヨークにいるんだ。)
あとからわかったことだが、この歌はアルバム「ニューヨーク物語」(1976年)に収められているが、シングル発売はされていない。この歌を日本で聞いたことがあるかどうか記憶にないが、地元ニューヨークで聞いていて、心に刺さったのだと思う。
この歌を聞いていて、もうひとつのニューヨークの歌を思い出した。ビリー・ジョエルのこの歌や、フランク・シナトラのカバーでよく知られる“New York、New York”といったニューヨーク賛歌ではなく、「こんな街はいやだ、出ていきたい」と、大都会の孤独を歌ったジム・クロウチの” New York's Not My Home”(1972)は、たぶんほとんどヒットしなかったと思う。ちなみに、歌詞はコレ。
興味深いのは、ジム・クロウチの歌は「ヒッピー」とか「フォークソング」という雰囲気を残した72年の歌で、ビリー・ジョエルの歌の方は、日本の音楽でいえば、音楽的にどうこうというのではなく雰囲気で、ニューミュージックなのかもしれない。ジム・クロウチのように、ニューヨークを出ていきたいと願っている男を描いたのが「真夜中のカーボーイ」(1969)で、サイモン&ガーファンクルの「アメリカ」は、地方都市に住む若者がニューヨークになにかの可能性を感じてグレイハウンドに乗っているという歌だ。
ニューヨークにいたときは、ここまでの考察はしていないが、のちに「東京と歌謡曲」といったテーマは少し考えていた。そういう関心がもっと強くなるのは、「バンコクと歌謡曲」を考えるようになる1980年代末になってからだ。
ちなみに、100ドルで買ったラジカセ(香港製だった)は、ロサンゼルスの質屋で売った。14ドルだった。
今、思い出したことも書いておきたい。このラジカセを買ってインタビューに使ったのだが、ホテルで再生しようとしたら、音が入っていない。そこでその場で録音してみたが、何も録音されていない。何がおかしいのかわからないので、修理屋に持ち込んだ。店員があちこちいじり、「ああ、これか!」とカセットテープを取り出した。テープの裏表が逆という不良品だった。そういう香港製品も堂々と売っている時代だったから、「日本製品は高くても、最高の品質だ」と称賛されていた。そう、ウォークマンが発売されたころの話だ。