1769話 思い出しあっあ~

 

 「あんときは、おもしろかったよなあ」と、ふと笑ってしまうようなことを「思い出し笑い」というのだが、過去の悔しかったことや悲しかったことやうれしかったことを思い出しても、「思い出し悔し」とか「思い出し悲しみ」とか「思い出しうれし」などとは言わない。そういう言い方はないが、そういう感情はもちろんある。

 ここ10年くらいか、過去のさまざまなことを突然思い出し、「あっあ~」とため息をつくことがある。時の流れにため息をつく。たとえば、こういうことだ。

 「息子は、今年やっと小学生だ」と言っていた知人の、その息子は今ではもう40歳を超え、あのときうれしそうな顔をしていた知人の年齢を超えたと気づくとき。あるいは、・・・また。

 わたしがまだ駆け出しのライターだったころ、小さな出版社にときどき顔を出していた。会いたい編集者が来客中であったり、ちょと外出していたりすると、アルバイトの女の子とちょっと雑談をしてすごした。彼女は高校を出たばかりで、昼はここで雑用全般をこなし、夜は専門学校に通っているといった。高校生のアルバイトという感じだったので、あえて「女の子」という表現をした。かわいい少女という印象だった。その出版社には5回か6回ほど行っただけなのだが、先日、何の脈略もなく、突然あの小さな編集部の光景が目に浮かび、「あのこ、かわいかったなあ」と思い出した直後、「彼女も、そろそろ還暦か! おいおい」と気がついた。18歳か19歳でも16歳くらいにしか見えなかった彼女が、そろそろ還暦! これが、私がいう「思い出しあっあ~」である。  「初めてタイに行ってから、そろそろ50年か」というような感情は、近頃よくある。バンコクの高架電車に乗っていて、その昔に私が見たバンコクを知っている人は、この車両にはいないなあと気がついたときに、あっあ~。

 テレビドラマで、オフィスにいる女性社員のもとに、「お子さんが熱を出したので、すぐ来てください」という電話が、幼稚園や小学校から来るというシーンがよくある。いままで見過ごしていたシーンなのだが、熱を出した子供が私で、仕事を中断して駆けつけてくれたのが母なのだということに最近になって気がついて、「あっあ~」。少年時代の私は普段はいたって健康なのだが、扁桃腺肥大という持病があって、年に何回か38度以上の高熱を出した。小学校高学年以後は自分でなんとか帰宅したが、それ以前は母が仕事場から学校に駆けつけてくれたのだが、当時はそれが特別なことだとは思っていなかった。

 母が90歳近くになって、自宅のベッドで過ごすことが多くなり、食事のときも飲み物を持っていても、「ありがとね」といい、おしめを代えると、「ごめんね、ありがとね」と何度も言った。できれば息子にそんなことはさせたくないと思ったのだろうが、手が空いているのは私ひとりだから、私がやったというだけのことだ。

 思えば、母は子供たちのおしめを代え続けた。昔は布のおしめだから毎日洗った。私が生まれるちょっと前のことだが、我が家は父の仕事で、親子4人でひと冬を極寒の群馬県山中ですごした。「毎日、川におしめの洗濯に行ってね、あまりに冷たくて、手の感覚がなくなるの。絞れないのよ」と話していたことを思い出した。そのせいで、母は群馬県にはいい印象はなかった。

 ずっとあとになって、「おしん」を見ていたら、辛抱のかたまりのおしんが、「もう、こんな生活はいや」とばかりに奉公先を逃げ出すのが、雪降るなか、川でおしめを洗っているときだった 。

 考えてみれば、母にさまざまなことをしてもらっていながら、「ごめん」と「ありがと」はほとんど言ったことがなかったような気がする。「帰ってきたら、お弁当箱は流しに持ってきて、水につけておくのよ」と何度言われても、「あ~」という生返事をしていて、弁当箱のことはすぐさま忘れ去った。そんなことも思い出す。

 母は長生きをしてくれたおかげで、「いままで、いろいろしてくれたのに、『ありがとう』のひとことも言わずに、ごめんね」と謝ることができた。

 「いいのよ、子供はね、親に謝ったり感謝しなくてもいいんだからね」

 その言葉を思い出して、いつも「あっあ~」なのだ。