◆旅行
旅行先は、たしかに変わってきた。関心がアジアからヨーロッパへ移っていった理由は、地域の違いというよりも、雑踏が嫌いになったという理由の方が強い。2000年代に入り、母の体調が悪くなり、できる限り自宅で過ごすことが多くなり、東京の雑踏も苦手になってきた。満員電車、人込み、騒音もイライラするようになり、東京散歩をしていても夕方のラッシュ前に帰宅する。だから、いわんやアジアの雑踏をや、である。
旅先でやっていることは、今も昔もあまりかわらない。私の旅は、街をただぶらついているだけのことで、名所旧跡や美術館などにはあまり行かないで、ただそこいらを歩いて、「あの看板、おもしろいなあ」とか「トラムはいいなあ」などと思っている。散歩の疑問は、旅先で尋ねることもあるが、歴史が絡む話題なら、帰国してからじっくり調べる。
20代と比べれば多少は豊かになったが、「レストランを予約して有名料理を必ず食べる」ということはしたことがない。ひとり旅だからという理由もあるが、そもそも高額料理に興味がないことの方が大きい。
「もう、昔のようなことはしないなあ」と思うのは、数十円、数百円のことで料金交渉をすることはない。インドに行かなくなったから、料金を交渉する機会がなくなったという理由も大きい。
いまでも長距離のバスや鉄道は利用するが、ヒッチハイクはもうやらない。アフリカでは、ヒッチハイクは公共交通機関がない地域では、有用で有料の交通手段にもなるが、モロッコ以外のアフリカにはたぶんもう行かないかもしれない。
利用する宿泊施設も、昔とあまり変わっていないような気がする。
初めて外国旅行をするようになってそろそろ50年たつが、「プールのないホテルには泊まらない」とか、「年も年なんだから中級以上のホテルに泊まるようにしている」ということもない。高校時代の友人たちと旅行の話をしていたら、小金持ちになった友人たちは、「若いころはともかく、50を過ぎたら、飛行機はビジネスクラスは当たり前よねえ」といい、ほかの友人も「そうそう」と応じている。ニューヨークなら1泊1000ドルは高いが、500ドルや600ドルくらいするのは当たり前という人たちだ。数日の滞在なら、並外れた宿泊費ではないだろう。私のようにひと月以上の旅など、想定していないのだ。
ドミトリーに泊まる私とはまさに世界が違うのだが、彼らの旅の方が世間の常識に近いといえるだろう。ちょっと豪華なツアーで使用するホテルなら、通常料金は300~500ドルくらいはするだろう。それを団体割引で安くなっているわけで、個人で予約するときでも、「年に何回も韓国に行く」というような人でなければ、「学生じゃあるまいし、安っぽいホテルなんか泊まれるかよ」というのが、私と同年代の方々だろう。いや、昔と違って、学生が利用するホテルといっても、けっこうな設備が整ったビジネスホテルクラスが少なくないようだ。
旅先で書画骨董美術工芸品雑貨を買い求め、ゴールドカードで支払うということもない。本以外、旅先での買い物はしない。私は物欲がないのだ。コレクションの趣味もない。投機の趣味もない。だから、旅先での買い物は、地図や文房具や、電池やバンドエイドや帽子など日用品を買うくらいで、これは昔から変わらない。そういえば、昔と違って旅先でもクレジットカードを持ち歩くようになったが、使ったことはほとんどない。支払いは、昔ながらの現金主義である。
リュックサックもスーツケースも私の趣味に合わないから、ショルダーバッグを使っている。バッグを大きくすると、いろいろ詰めたくなり重くなるので、あまり大きくないショルダーバッグで移動するのが、私の旅に適していると思っている。スーツケースでもなくリュックでもないというのが、まさに私の旅のスタイルなのだ。
おまけの話:最近見て、おもしろかった映画3本。ルーマニア&ルクセンブルグのドキュメント「コレクティブ 国家の嘘」は、ルーマニアの政治と医療がいかにでたらめを明らかにした。台湾映画「1秒先の彼女」は、変におもしろいという印象で、「熱帯魚」と同じ監督の作品だと知って、なるほど。台北のDVD店でで、「これぞ名作」といって店員が紹介してくれた作品のひとつで、買って帰った。3本目はブータン映画「ブータン 山の教室」。ベタな感動映画にしなかったのがいい。この3作とも、8月にWOWOWで再放送される。「茲山魚譜 チャサンオボ」は8月が初回放送される。
おまけの話をもうひとつ。アメリカのMLBオールスター戦での大谷のインタビューを見ていたら、字幕は「もう通訳はいらないだろ」という質問だが、聞き手は”translater”と言っている。私のヨレヨレ英語力だと、これは「翻訳者」であって、通訳なら”interpreter”だと思っていたんだが、アメリカのテレビでのインタビューだから、それでもいいようだ。