1779話 経年変化 その10

 

パン

 ラジオで、カンニング竹山がこういう話をしていた。「僕の時代は、週に2回か3回は米飯給食だったんだけど、出川(哲郎)さんの時代は、まだ米飯給食はなかったらしいよ」。地域にもよるが、竹山(1971年生まれ)と出川(1964年生まれ)で、給食におけるパンと米飯の違いがあるらしい。私はもちろん、脱脂粉乳コッペパンの時代で、米飯は知らない。中学は給食がなかった。

 子供の頃は、パンが特に好きだということはなかった。その頃は、昼は給食のパンで、朝、夕は米を食べていた。小学生の私は給食でも姉たちは弁当を持って行ったので、朝飯は当然米飯だった。

 私が高校を卒業して、しだいに朝食はパンになった。朝に飯を炊かなくてよくなったという理由もあるが、母がパンを大好きだったという理由もあった。20代前半にして、私はパンなしでは暮らせないと思うようになった。漁村の取材に行った時の宿は、漁師が経営する民宿で、3食が魚だった。味噌汁にイカが入っていた。「ああ、パンとコーヒーの朝飯を食いたい」とつくづく思ったものだ。

 それ以後何度か次のような想像をした。「パンのないひと月と、米飯のないひと月のどちらがつらいか」という想像だ。パンに限らず、米飯以外の食事か、米飯だけの食事かという想像の方がいいかもしれない。パンでなくても、さまざまな小麦粉製品や雑穀でもジャガイモでもいいが、毎日そういうものを食べている生活と、3食米飯という食生活という比較なら、3食米飯だけの生活の方がつらい。外国を旅していれば、アジア以外なら米飯をまったく食べない生活は何度も経験している。3食米飯というのは、アジアの田舎でたまに体験しているが、パンとコーヒーを切望した。

 いままで、外国でたった1度だけ、「今、米の飯が欲しい」と思ったことがある。イスタンブールはガラタ橋の下で、塩を振ったサバの炭火焼きの光景を見た時だ。醤油がかかった大根おろしに飯という定食が頭に浮かんだが、ここでは焼きサバは塩レモンで食べる。もちろん、パンがつく。

 日本で生活していれば、和食に合うおかずがあるから、米飯も食べたくなるが、アジア以外の外国なら、半年くらいなら米飯はなくてもいい。私には経験がないが、中国北部などでは炒め物に饅頭(マントウ。餡のない蒸しパン)という食事をするが、そいう映像を見ながら豆腐料理に饅頭はいやだ、飯が欲しいと思う。

 ヒマに任せて、いつもの妄想。「値段をまったく考えずに、好きなパンを買ったら、ひと月にいくらくらいかかるか」という想像なのだ。私は白く、ふわふわで甘い食パンがしだいに好きではなくなってきたのだが、近所のパン屋にはそういうパンしかない。「バゲット」と称して売っているパンも、中に穴はなくふかふかなのだ。「鄙(ひな)で暮らす」と、そういうパンしか手に入らない。東京のしかるべき店で、全粒粉やライムギなどを使ったドイツ風の重いパンなどの、「うまそうだ」と思うパンを買っていても、月に4000円もかからないだろう。菓子パンや総菜パンはほとんど買わないから、月に3000~4000円程度の出費で済む

 こういう重いパンにブルーチーズを薄く塗り、ドイツの香辛料入りのソーセージの薄切りをはさんだサンドイッチが好きな朝食のひとつだ。ベーコンでもいい。

 パンが大好きでも、薄切りパンのサンドイッチを1セット食べるだけだから、パン代は月に4000円もかからないが、最大の問題は出費額よりも、そういうパンを売っている東京の「いい場所」に住まないといけないことだ。