◆本を買う その2
20年以上前に出た新書や文庫などを古本屋で探していたころは、しばしば古本屋に行き、神田で見つからないと高田馬場に行き、それでも見つからないと中央線沿線の古本屋に行く。手帳には「買いたい本」のリストができていたから、1日古本屋を歩けばリストのなかの数冊は見つかるが、高くてと手の手が出ないという結果になることもあった。ネット古書店だと、ピンポイントで本を探すから、数秒で欲しい本が見つかる。アマゾンになくても、ほかのネット書店を探せば見つかることが多い。ただし、古本屋の常識では考えられない高額な値付けをしていることもあるから、「アホ!」とつぶやいて相手にしない。
そして、このコロナ禍。新刊であれ古本であれ、本屋で買うことが減り、文庫をブックオフで探すことはあるが、基本的にはネット書店で買うことが日常になった。いや、コロナ前からだな。海外旅行史の研究を本格的に始めると、ヨーロッパ中世史・近現代史やアメリカのカウンターカルチャー史など多岐にわたる資料を集め、同時に旅の話をブログで書くようになり、例えば「ポルトガルとスペインの本」とか「大阪の本」などを段ボールひと箱かふた箱くらいは買い集めるとなると、効率の点でネット書店で探す方が良くなる。
最近の例で言えば、林芙美子の『愉快な地図』(中央文庫)は、2022年4月に出版された文庫オリジナルで、神田の東京堂で買った。読みかけの本が何冊もあったので、この文庫を読んだのは7月に入ってからだ。林芙美子の本は何冊か読んでいるが、この文庫は「林芙美子紀行文集」という構成でまとめられている。改めて林芙美子の関連書を読みたくなってアマゾンで調べたら、『女流 林芙美子と有吉佐和子』(関川夏央、集英社文庫、2009年)を見つけたのだが、2011年にすでに購入していると判明したが、読んだ記憶がない上に、その文庫が見つからないので、再度購入。届いた本のページをパラパラめくっても、読んだ記憶がない。買って、どこかの本の山に置き、その上に次々に積み重ね、読まずに埋もれたのだろう。改めて手にしたこの本も、おもしろい。ここで書評をやる予定がないので、内容には触れない。林芙美子の生涯が少しわかったので、まったく読んだことがない有吉佐和子を読んでみようと思ったが、小説は読む気がしないので、旅行モノを・・・と探したのが、『女二人のニューギニア』(朝日文庫、1985年)は、文化人類学者の畑中幸子に面倒をみてもらって行ったニューギニアの話。この本が単行本で出たのは1968年で、出版当時の記憶がはあるが読んでいない。畑中幸子の『南太平洋の環礁にて』(岩波新書、1967年)は発売当時に読んでいる。
つい数年前、このブログ関連でバルト三国の資料を探していると、『リトアニア』(NHKブックス、1996年)や『リトアニア 民族の苦悩と栄光』(中央公論新社、2006年)の著者名が畑中幸子とあり、調べれば南太平洋やニューギニアでフィールドワークをやった学者が、のちにリトアニアに関わっていると知ったのだが、ほかの本を読んでいるうちに読みそびれた。本には「読むタイミング」というものがあって、その時期をそれると、「今はいいか?」になってしまう。『女二人のニューギニア』を読み終えると、なかなかおもしろく畑中幸子という人物を知りたくなったので、リトアニアに関する著作も読んでみたくなった。しかし今は、読まれる順番を待っている本が山になっているので、そのなかから『京大人文研』(斎藤清明、創隆社、1986)を読んでみる。
関連書を次々に読むという読書習慣があるので、その時に私が読みたいと思っている本は書店ではなかなか見つからない。どうしてもネット書店で探すことになるというわけだ。ただし、ネット書店では内容とそのレベルがよくわからないから、知らない著者の本だと「送料込みで1000円以下、できれば800円以下」という程度を心がけている。