◆酒タバコ
19、20歳のころは、「居酒屋で一杯」と大人の世界をまねてみたこともあるが、酒は体質に合わないことがわかり、飲まなくなった。ただし、「大人の世界」に入ったということで、宴会などで「まずは、乾杯」というときに、コップ一杯のビールのおつきあいをすることはあったが、30歳を過ぎればそういう気づかいもせず、ビールの乾杯にもつきあわない。
以後、酒はまったく飲まなくなったかといえば、そうでもない。真夏の餃子とくれば、私だって冷え冷えのビールを飲みたくなる。酒飲みにしてみれば、耳かきで飲んでいるようなものだろうとか、ヤクルトじゃないんだからと言われそうだが、酒飲みが同席しているなら、タイ人のようにコップに冰を入れてもらい、100ccかそこいらのビールを飲む。だから、1年間の飲酒量はせいぜい500ccくらいという酒飲みである。
タバコは、ハイライトを1日半箱という程度から始まり、ゴールデンバッドにしてからは、軽いので本数がどんどん増え、1日に2箱から3箱になり、近所のタバコ屋に取り寄せてもらっていた。ヘビースモーカーとの雑談となれば互いに次々と吸い、1日5箱を超えることもあった。さすがにこれではまずいとは思ったが、禁煙できるような剛健な意思など持ち合わせていないから、禁煙を節煙に方針転換したのだが、午前中に節煙すれば午後にその反動がきて、結局、本数は減らない。
50歳を過ぎたとき、体がだるく呼吸が苦しかった。「ついに来たか」と悟った。病院に行けば「肺がんです」と宣告されるのはわかっているから、その前に最後のタバコに火をつけたが、煙いだけでうまくなかった。
近所のクリニックに行った。「ヘビースモーカーなので、多分肺が・・・」と医者に言い、すぐさま肺の検査を受けると、「呼吸器系に異常はないですね」という。「次は、念のため循環器の検査をしましょう」と心電図などの検査を受けると、医者と技師と看護師があわて始めて、何か異常なことが起こっていることが予想でした。
クリニックから大病院のICUに移され、心筋梗塞でそのまま入院となった。「ご家族の連絡先を教えてください」という何度もドラマで見たシーンがあり、寝返りはもちろん首を持ち上げたりすることも禁止された。横になっていれば、苦しくも痛くもない。何ともないのだが、すぐ寝たのは、薬のせいだろう。
数日後に病室に移された。病院に来た時のバッグはそのままで、なかにゴールデンバッドが数箱入っているのだが、吸いたいという欲求はまるでなかった。ちょっと前までその病院には喫煙室があったが、私が入院した時は病院敷地内禁煙となっていた。その規則を守れない入院患者が病棟の裏などでタバコを吸っている光景を見ているが、私もその仲間に加わりたいとは思わなかった。
それ以来、もう20年近くタバコを吸っていない。吸いたいという欲望は姿を見せないので、欲望との戦いもない。「絶対に禁煙できない弱い自分」と思っていて、事実、禁煙という決断はしていないのだが、不思議にまったく吸いたくなくなったのだ。やはりヘビースモーカーだった作家の高田文夫も、不整脈で生死をさまよった後、「不思議に、タバコを吸いたいとは思わなくなったんだよなあ」とラジオで語っていた。
健康面を別にして、タバコを吸わなくなってよかったことはいくつもある。外出したとき、「あれ、タバコの火はちゃんと消したかな」という不安がなくなった。部屋からヤニが消えたのもいい。本がベトベトにならないのもいい。毎年カーテンを洗うと、チャオプラヤーやガンジスの水よりもはるかに汚い色が出て、2度洗いをしないといけないのだが、いまはきれいなもんだ。タバコを吸わなくなって、部屋にエアコンを入れた。