1788話 経年変化 その19

 

◆服装 その2

 もともと服はあまり買わない方だと思うが、1990年代の東南アジア長期滞在時代に事情が変わった。

 例えば、ある日のバンコクの1日。

 エアコンのない部屋の朝。汗びっしょりで目覚め、すぐシャワーを浴びる。着替えて、新聞を買いに行き、その新聞を読みながら部屋で朝食。出かけて、昼食を済ませて帰宅。シャワーを浴びて、着替える。洗濯や掃除や新聞の切り抜きなどをして、午後の外出。夕食を食べてから帰宅という場合と、帰宅してからシャワーを浴びて夕食に出るということもある。そして、寝る前にまたシャワーを浴びて着替える。こういう生活だから、パンツとシャツは何枚も必要で、洗濯は少なくとも1日おきにはしないといけない。1990年代末ごろにコインランドリーを見つけたが、ずっと手洗いだった。すすぎと絞るのが苦労だが、よく絞らなくても、乾季ならシーツで1時間弱、Gパンでも2時間かからずに乾く。これが雨季のチェンマイだと、室内干しをしていると、かえって多くの水分を含んでいたことがある。

 タイ人は汗臭さを嫌う。だから、1日に何度も水浴びをする。私もそういう生活習慣に慣れると、汗臭さに敏感になる。バスやショッピングセンターなどで汗臭さを感じて見回すと、外国人観光客を発見する。カオサンあたりから来た旅行者だろう。

 汗臭くならないように、Tシャツを何枚も買うようになるが、あまり質が良くないし、丸首(今は、クルーネックというらしい)は首がくすぐったいのが苦手で、「オーダーメイドで服を作る」というおもしろさに目覚める。

 ながらく、アジアでもアフリカでも、既製服というものはほとんどなかった。既製服は警官や軍人や公務員などの制服から学校の制服として始まるが、例えば100年前のタイでは中国人とイスラム教徒を除けば、男も女も布1枚を体に巻くだけだ。のちに都市住民が洋服を着るようになったが、既製服はなく、注文して作ってもらうのが基本だ。裏地などないシャツやズボン類だから、生地屋のそばに店を出している洋服屋に頼んで服を縫ってもらうのが普通だった。今はどうなったか知らないが、1990年代のタイだと公務員も企業も、職員・従業員に生地を支給し、自費で仕立ててもらうというシステムになっていた。だから、銀行の女性社員の制服は、生地は同じだがデザインがそれぞれ違っていた。制服が自慢だから、自宅から着ていくのだ。

 既製服が一気に登場したのが1970年代ごろからで、それはGパンとTシャツの時代の到来である。1990年代でも、注文服の時代はまだ続いていた。散歩の途中、生地屋の脇でミシン1台で商売をしているおばちゃんを見つけ、物は試しと、人生で初めて、服を作ってもらうことにした。縫製代金はよく覚えていないが日本円にして500円くらいだったかもしれない。女性が腰に巻く布を200円くらいで買って、半そでシャツに仕立ててもらったのである。

 出来上がったシャツを着て、タイの友人たちに見せると、嫌な顔をした。「外国人は、おもしろいと思うかもしれないが・・・」と言った。女が腰に巻く布を、男がシャツにしていることに違和感があったようだ。だいぶ後になって、腰布で仕立てたシャツが、外国人相手の安宿街カオサンの路上で売られているのを見た。

 それ以後、東南アジア各地でオーダーメイド遊びをやるようになった。旅先で気に入った布を見つけると、時間があればその街の洋服屋に行き、時間がなければバンコクに持ち帰って行きつけの洋服屋に生地を持ち込んだ。デザインや縫製は「可」レベルだった。ジャカルタで染付けのように白地に青だけで染めたバティックを見つけて、買った。高級品だ。この布を、友人が愛用している高級洋服屋に持ち込んで、仕立ててもらった。代金は高かったが、ちゃんとした服に仕上がっていた。

 こうして、熱帯アジアで仕立てたシャツやズボンを日本に持ち帰った。