1799話 旅と食い物とガイドブック その3

 

 ロンリー・プラネット社が出したポケット版食文化ガイド”World Food”シリーズの”Thailand”(2000)を例にして、内容を点検してみよう。書き手は、Joe Cummings。ロンリープラネットの旅行ガイド”Thailand”ほか数多くのガイドブックを書いているライターだ。ここでは、まず目次の大項目を書き出してみる。タイ料理を扱った日本語の本とは違い、店ガイドもレシピもない。タイ人の食文化の概要を書いたものだ。

 The Culture of Thai Cuisine

 Staples & Specialities・・・稲作とコメの説明に8ページを使っている。

 Drinks・・・アルコール飲料なら、ビールから自家製の焼酎まで取り上げている。

 Home Cooking & Traditions・・・食べ歩きガイドではないから、家庭の料理の話はあり、当然、台所と調理道具にも言及する。

 Celebrating with Food・・・行事食の説明があり、あとのページで屋台飯の話もある。

 Foreign Infusion

 Regional Variations

 Shopping & Markets
   Where to Eat & Drink

 Street Food

 A Thai Banquet

 Fit & Healthy

 Recommended Reading

 Eat Your Words

 Photo Credits

 Index

 上の目次でもっとも注目すべきは、225ページから始まる”Eat Your Words”の章で、これは食文化用語のページだ。食事のタイ会話集というのはほかにもあるし、情報センター情報局の『食べる指さし会話帳』にもあるのだが、ここには「英語・タイ語食文化単語帳」がある。例えば、見出し語”catfish”には”plaa duk”(発音記号省略)とローマ字で発音を書き、そのあとに、 “ปลาดุก”とタイ語がある。単語帳のあとに、「タイ食文化辞典」もあり、今度はタイ語を見出し語にして、その発音記号と英語の説明がついている。タイ語が読めなくても、タイの食文化に強い興味があれば、読み物としておもしろい。

 他の巻も、基本的に現地語と英語の2言語単語帳が巻末についている。”Morocco"なら、英語にモロッコアラビア語とその発音がついている。”India”は、英語とヒンディー語の説明がついているが、文字はローマ字になっている。

 ベトナムインドネシアでは基本的にローマ字表記だから、そのまま使っているが、発音の注意は書いてある。

 ロンリー・プラネットは、引き続き食べ物本を出し続けている。2010年代あたりから始まったストリート・フードのブームに乗ったのか、屋台飯を取り上げた。”World's Best Street Food”や”The World's Best Bowl Food: Where to find it and how to make it”などを出している。「地球の歩き方」の食の図鑑シリーズは、そういう流れを追ったものだろう。

 「地球の歩き方」には、これほど広く詳しい内容の本を書くことのできるベテランライターはどれだけいるのだろうか。ある地域やある分野の詳しい文章を書いた人はどれだけいるだろうか。確実に言えることは、このWFのような本を日本で出しても、読者がいないということだ。その例となるのは、農文協が出している「世界の食文化」シリーズの中で『スペイン』(立石博高)が出色の出来なのは、著者がスペイン近代史の専門家だからだ。1960年代の独裁者フランコの政権が外貨獲得のために始めた観光政策で「太陽の国アンダルシア」、「フラメンコ」、「トマトとオリーブオイルのスペイン料理」などを売り出したといった記述は、どの料理のレシピよりも貴重だが、たぶんそれほど売れなかっただろう。読者はもちろん、ライターも編集者も食文化にはほとんど興味はないのだ。

 誤解のないように蛇足を書いておくが、私は「店ガイドやレシピ本や食談本はいらない」と言いたいのではなく、いつまでもその種の本しかないことを残念に思っているのだ。世界各地の料理の場(あえて「台所」と言わないのは、家庭で調理はするが台所という特定の場所のない家庭も少なくないからだ)や、食べられない人たちの話や、食文化と政治とか、語られるべき話題はいくらでもあるのに、出版物はいつもワンパターンだと言いたいのだ。

 ちなみに、“The World’s Best Street Food” の話は、412話(2012-06-20)に書いた。