1814話 雑話の日々 その5

 

宗教

 知人誘われて、イスラム教を解説する講演会に出席した。講演者は昔から知っている人で、いまではイスラム教の広報を生業にしている日本人だ。会はきっと荒れるなと思ったら、やはり荒れた。荒らしたのは、私だ。

 「イスラムは平和の宗教です。我々の挨拶は、『サラーム・アレイクム』というのですが、その意味は『平安があなたの上にありますように』です。いつも平安を願い、けっして争わないという宗教です」

 「イスラムはどんな民族にも、年齢や貧富の区別なく、すべての人を平等に扱います。差別はないのです」

 黙っていようかと思たのだが、思わず声をあげてしまった。

 「その『すべての人』のなかに、女は入っていないんですね。今、もっとも熱心に人殺しをしているのは、どういう宗教の人たちですか?」(ロシアのウクライナ侵略の前の会だった)。

 宗教の人は、自分が信じている宗教が絶対に正しいと信じている人で、こういう場は百戦錬磨、あーいえばこーいう詭弁の訓練を積んでいるから、「こうあってほしい」という理想の姿を解説するだけで、現実には触れないから、まったく説得力がない。

 マスコミは「敬虔」という語を、「立派な人」の意味で使いたがるが、敬虔なキリスト教徒がKKK(クール・クラックス・クラン)のメンバーで、黒人を殺すことが使命だと思っているなどといった例はいくらでもある。敬虔な○○教徒が「神の名において・・」という名目で犯した悪行がどれだけあるか。当然ながら、「敬虔なキリスト教徒」であるはずの神父たちが、世界各地で犯した性暴力の例もある。「敬虔」にだまされてはいけない。

空へ

 だいぶ前の雑誌の広告に、「不眠症で苦しむ椎名誠」という見出しを見つけた。それからちょっとたって、椎名誠のエッセイ集で、不眠症に加えて閉所恐怖症でもあると告白していた。その症状は過去のものか、現在まで続いているのかはわからない。エッセイには、こんなことが書いてあった。現物を見つけるのが大変だから、記憶で書く。

 ホテルで眠れない時間を過ごしていると、部屋の天井や壁が迫ってくるような気がして苦しくて、部屋のドアを開けてなんとか寝ようとすると、従業員がドアを閉めてしまうというものだ。

 新宿の仕事部屋での執筆が長引き、そのまま泊まっていくこともあった。仕事部屋で閉所恐怖症の症状がでても、部屋はマンションだからベランダに出れば、180度以上の展望で落ち着ける。ちょっとあとになって気がついたのは、あのとき、ベランダから空に飛んでいけばきっと楽しいだろうなと思ったことだ。のちにその夜のことを思い出し、「あれは、危なかった」。

 ベランダや非常階段の下で倒れていた有名人の報道がある。遺書はなく、事故か自殺か不明という記事だ。「真相は本人にしかわからない」と結ぶ記事があったが、本人にも真相はわからないこともありそうだ。