1815話 雑話の日々 その6

 

性別

 「高校入試願書の性別欄、東京都が23年から削除 46道府県は既に廃止」というニュースが、毎日新聞に出ていた。全国の公立高校の願書の性別欄をなくしたということは、受験に性別など原則として関係ないということだろう。

 国立のお茶の水女子大学の願書には性別欄はないが、受験資格は「女子限定」となっている。LGBTQ問題が出てきて、お茶の水女子大独自の「女子とは」という規定を設けているが、そんな理屈をこねないで、「どういう性であれ、問題としない。受験資格は世界中のすべての人にある」という姿勢なら、なんの問題もない。就職の申請書にも性別欄がなくなりつつある時代に、女子校だけが「男子禁制」を金科玉条としていることに、女子大のジェンダー研究者たちはもちろん問題にしない。大学での既得権を守ろうとしているのだろうか。

 こういう差別問題を扱う場合よく誤解されるのは、国公立学校と私立学校の違いを無視している論議が多いことだ。「宝塚音楽学校は女子限定だ。それが間違いだというのか!」という主張。私立校ならば、その学校の方針で決めればいいが、公立学校の場合は明らかに差別だ。あるいは「女も土俵に上がりたければ、ふんどしをしめて来い」といった無知と冷やかしに起因する言いがかり。

 「差別じゃなくて、区別です」という論理も無理がある。「女子大に男は入学できないが、ほかに大学はいくらでもあるんだから、違反にはならない」という論理を展開する人がいるが、お茶の水女子大のA教授の授業をぜひ受けたいと思っても、性が理由で受験さえできないという事実を問題にしないのは、それほど魅力的な教授は女子大にはいないと理解すればいいのか。

わだかまり

 「韓国を旅行する女の子が増えています。彼女たちは、日韓関係のわだかまりなどなく、楽しんでいます」と、テレビのキャスターが言った。「無知を、『わだかまりのなさ』と誤解してはいけない」と、テレビに叫びたかった。

 1990年代のことだが、初めて韓国旅行をした大学生の感想。「韓国のお年寄りが勉強熱心なのに驚きました。日本語が話せるだけじゃなく、小説も読んでいるという話を聞いて、びっくりしました」。日本の老人が、カルチャーセンターなどに通って、フランス語やイタリア語の勉強をしているのと同じだと思ったようだ。韓国の老人たちがなぜ日本語がわかるのかを知らないのは、「わだかまりのなさ」ではない。

台湾

 寒くならないうちにと思い、神保町に行った。三省堂仮店舗はやはり狭く不満が多いので、東京堂で長い時間を過ごした。私が行ったとき、東京堂は「台湾書店」として、台湾書フェアーをやっていた。すでに知っている本が多い。「うん、いいな」と思う本がほとんどだが、1冊も買わなかった。1冊がたちまち10冊になってしまうとわかっているからだ。

 戦後の台湾関連本は、ながらく「ニッポン万歳本」だった。「日本人は台湾ですばらしいことをした」、「台湾人は日本人が大好き」といった本を、おっさんたちが読んで自己陶酔していた。台湾を旅行する人たちも、こういうおっさんたちだ。この時代を総称すれば「日本時代万歳派」といってもいい。

 21世紀に入った頃からか、台湾への旅行者に女が増えてきて、「台湾食べ歩き」、「台北買い物散歩」といった本が増えた。これを仮に「夜市(夜の屋台街)時代」と呼んでおこう。台湾は、おっさんたちでなくても、楽しい観光地ですよと紹介した。この時代はまだ続いているが、第3の時代は、台湾人が書いた本の翻訳だ。『台湾万葉集』(孤蓬万里、集英社、1994)は、台湾時代万歳派を刺激する名著ではあるが、日本時代とは関係なく、今の台湾を描いた本も多く翻訳出版されている。そして、ありがたいことに、日本人が書いたものでも、長年歩き、調べ、考えて書いた本が増えつつある。従来の台湾ファンの情報源は日本語世代だけだったが、時代的に今は中国語や台湾語を使わないと自由な取材が難しくなったからでもある。

 

 雑話の日々は、今回でおしまい。次の更新まで、ちょっとお休み。